※5年前にどんな準備をしていたかの記憶がほとんど無くって困っているので、メモを残しておこうと思います。
12/26(月)
関東研究大会から戻った次の日。冬休み中。
朝から学校に行き、方々にご報告。何年か前に美術部が全国高等学校総合文化祭に出品しているので2度目の高総文祭だけれど、団体となるとまた違ったインパクトがあるようだ。10時にトラックがやってきて、大道具を降ろす。小物や衣装は部室まで運んだが、大道具は年明けまで1階に留め置くことにした。生徒は少ないし、疲労困憊なので。この日は道具の片付けと差し入れのお菓子を分けるだけで終了した。
11時過ぎには全て終わったので、お休みをいただいて学校へ出発。目指すのは彩の国さいたま芸術劇場。本当は新潟のお土産が良いのだろうけれど、新幹線に飛び乗ったのでお土産を買う余裕は無かったので途中、くらづくり本舗に立ち寄って、『福蔵』の詰め合わせを購入。12時過ぎに劇場に到着。人見知りなりの勇気を振り絞って、劇場事務室へ。受付の方に恐る恐る『埼玉県立新座柳瀬高等学校のものですが、Mさんはご出勤されていらっしゃいますでしょうか?』と問い合わせると、『はい』と呼びに行ってくださった。待つこと10数秒。入口から拍手をしながら舞台監督のMさん登場。話を聞くと、劇場には昨日のうちに事務局長先生から連絡が来ていたそうな。制作のIさんにもご挨拶をさせて頂いて、照明担当のTさんにもお礼をさせていただく。Tさんは『大ホールがあんなに沸いたのを初めて観たから、大丈夫だと思ってましたよ』と仰ってくださった。そこにMさんが戻ってきて、『緊張して、偉い人が二人も来るよ』と。『偉い人?』と思っていると理事長様と館長様が。また、パーカーだ(>_<。) でも、名刺を持ってきていて良かった・・・と思いつつ、新潟のご報告とお礼を。新潟の様子をご報告。名門・秩父農工科学さんでもなく、専門の芸術総合さんでもない、普通の学校が全国へと進んだことを喜んでくださっているご様子だった。
12/29(木)
第52回関東高等学校演劇研究大会・東京会場の初日の夜の顧問研修会。
筑波大駒場のH先生にお礼をと思っていたのだが、意外な展開のために方々にご挨拶もしなければならないことに。これから8月まで色々なところでご挨拶することになるのだろうと新しい名刺を作って持って行くことにした。
なかなか顔を出さない会なので、事務局長先生に色々と解説をして頂きながら、色々な方にご挨拶をさせて頂き、また、お声がけ頂きました。新潟までお越しだった方も多く、作品の感想を聞かせてくださる方もいらっしゃいました。こんなことでもないと絶対に顔を出さない会なので色々と新鮮でしたが、それにしても、高校演劇の作品に疎い僕でも知っている有名人がたくさん集まる会だなぁ、と。
第一の目的であった筑波大駒場のH先生とも少しゆっくりとお話をさせていただきましたが、しみじみとウチと秩父農工科学さんが選ばれたことを喜んでくださっていました。中央発表会での審査の様子も少し伺って、改めてH先生に感謝という思いを新たに。
その後、卒業生に冷たい協賛団体の某大学の方がご挨拶に。とはいえ、今回は中央の時に研究室のボスであり、学部長でもあるウチの教授が中央を観に来てくれていたので、冷たくはせずにご挨拶。
その後、関係団体のご紹介・ご挨拶などがあった。印象に残ったのは『季刊高校演劇』の編集委員のご挨拶。顧問になった最初の頃、何冊か読んだ記憶があるぐらいの印象しか無いのだけれど、地区や中央の芝居でこれに掲載されている作品だという話は良く聞く。なんでも沢山の掲載希望の脚本が送られてきていて、順番待ちみたいになっているらしい。僕にはとても信じられない話。自分の脚本が活字で大勢の目に晒されるなんて絶対にイヤ。審査用に脚本を提出するのもイヤなのに、書ける人は読んでもらいたくなるのかなぁ、と思ってみたり。
県別のご挨拶では事務局長先生と秩父農工科学のコイケ先生の挨拶に続いて、新潟の皆さんとH先生、審査員の方々へのお礼を述べさせて頂きました。
会の終わり際には新潟会場の顧問審査員だったF先生とお話。F先生の初任校である都立高校出身であることをお話しすると殊の外、喜んでくださった。F先生からは『コーチとか入っているの?』と聞かれた。上演を見て、そう思われたらしい。もちろん、『入っていませんよ』とお答えしたら、『それじゃあ随分頑張ってるんだねぇ』と。そういう風にも見えるのかと。
帰り際、H先生に名刺を渡していないことに気づいて、こういう会なので社交辞令に聞こえるかも知れないけれど、『何でもお手伝いさせて頂きますので、いつでもご連絡ください』と名刺をお渡しする。面倒くさがりの僕は普段、絶対にこんなことは言いませんが、今回ばかりは最大限のお礼を込めて。これで本日の目的は全て達したので帰路につきました。
以上、関東の覚え書きでした。