半日京都ツアー(後編)

市営バスの『大徳寺前』へ戻り、12系統(三条京阪・祇園方面)に乗車して『堀川今出川』へと向かう。お目当ては『晴明神社』である。 あんまり信心深くない僕だが陰陽道というのには少し興味がある。多くの宗教は哲学色が強いが、陰陽道は学問に近い。陰陽思想・五行思想を元に天文学や易学、暦学などを取り込みながら、仏教・道教・神道などとも融和してきている。また、安倍晴明公が小説のような活躍をしたかには興味は無いが、単純何かを信仰の対象とするものよりも信じられるような気がする。

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 ※晴明神社。堀川通りに面している鳥居。

ということで『晴明神社』。鳥居に掲げられた五芒星を見るだけで御利益がありそうな気がする。ここから鳥居を2つくぐって御手洗(水舎)で手を洗い、口をすすぎ、拝殿へ。子供の時から参拝手順は厳しく躾けられているので、神社での作法には苦労しない。この辺は宮大工の孫たるところか。参拝をし、境内を散策。

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 ※安倍晴明公の銅像。      ※厄除桃。厄を擦り付ける桃。

最近、色々とあるのでお守りを購入し、次の目的地へ。とりあえず『堀川今出川』のバス停に戻って、再び12系統のバスに乗り、『四条河原町』へ。ここに今回、宝塚遠征の2日目をあえて京都ツアーにした目的のお寺がある。

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 ※永福寺(蛸薬師堂)。商店街の真ん中で人通りが多いため、上の方だけ。

ここである。錦市場の入り口のほど近く、商店街の真ん中にある永福寺、またの名を蛸薬師堂。いつもお世話になっている坂戸の小父さんが入院から職場復帰されたので、どうしても『病気平癒』の御利益のあるお守りを届けたいと思い、色々と捜した。さすが京都だけあって沢山の神社や寺院があったのだが、この蛸薬師堂の由来が最も気に入ったのでここにした。

元々は1181年に比叡山の御本尊薬師如来の夢告により伝教大師(最澄)が彫られた石仏の薬師如来をお祀りした六間四面の六間四面の堂が作られたのが始まり。もともと薬師様なので病気平癒に御利益のあるところだった。

その後、建長年間(1249~1256年)の初めの頃に善光というお坊さん病気の母の回復を願う一心で、母に好物の蛸を食べさせようと市場で買って箱に入れて帰ったのですが、僧侶が生魚を買ったことを不審に思った人々が寺に押し寄せ、人々は門前で箱の中身を見せるようにと善光に詰め寄ります。善光は断ることもできずに、薬師如来様に祈り箱を開けると、蛸は八軸の経巻となり霊光を四方に照らした。この光景を見た人々が合掌し、南無薬師如来と称えると、この経巻が再び蛸になり、門前にあった池に飛び込んで、瑠璃光を放って善光の母を照らすと、病気がたちまち回復したそうな。以来、永福寺は蛸薬師堂と呼ばれるようになった。 ・・・と。

何となく人が人を思いやって、神様がそれを叶えたようなエピソードが気に入りました。なので、ここで坂戸の小父さんの回復をお祈りし、『病気平癒』のいかにも『お守り』という風情のお守りと、蛸のキャラクターがデザインされたストラップ風のお守りを購入。今回の京都ツアーの目的を達成し、阪急『河原町』駅へ。

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 ※阪急河原町駅の入り口。京都本線は河原町~西院までが地下路線。

昨日も利用した駅だが、昼間で人通りが少ないので写真を撮ってみた。

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くどいようだけれど、関西では東京に比べてよく見る光景なのだ。河原町駅は始発駅。昼間ということで人も疎らだったので、車内でも1枚撮ってみた。

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 ※阪急電鉄の9300系の車内。ロングシートではなくクロスシートが中心。

阪急の9300系の座席はドアとドアの間のシートが4列あり、間の2列のシートは手動で動かし、向きを変えることができる。上の写真だとドアより奥のシートは2列対面座席で固定。ドアのすぐ手前の座席は固定。一番手前に写っている席は向きを変えられる。電車がホームに入線して乗客が乗り込むと、背もたれを手動で動かす様子が見られる。ラッシュ時は迷惑なクロスシートだが、ラッシュで無い昼下がりには良いものだと思った。

さて、ここから12時30分発の京都本線の特急『梅田』行きに乗車。確かに西院の駅まで地下路線だった。このうち、西院~大宮間が1931年に開業した関西発の地下路線らしい。13時9分に『十三駅』着。13時13分発の宝塚本線の急行『宝塚』行きに乗り、13時44分に『宝塚』駅に到着。そこからJRの宝塚駅へと向かい、帰りの乗車券と新幹線の指定席券を購入。

そして、再び宝塚大劇場に向かって出発しました。

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