今年も銀杏祭へ

今年もnatsuさんにお誘いを受け、東京大学教育学部附属中等教育学校の銀杏祭へとお出かけしてきました。今年はコピスで初めてご一緒したNさんもご一緒に。

昨年同様、新宿で待ち合わせをして、京王バスに揺られて15分ほど。確か1つ前の停留所で下車した方が良いと去年話していた気がしたので『南台一丁目』下車。次の『東大付属』だと大きく通り過ぎてしまうそうな。

受付を済ませて、階段を上がり、演劇部の公演会場へ。2度目なので迷うことなく会場を目指します。

附属高校の演劇部が活動する建物。最上階に大道具が置いてあるのが見える。
附属高校の演劇部が活動する建物。最上階に大道具が置いてあるのが見える。

会場の前につくと、まだ30分以上前だというのにお客さんが。人気があるんだなぁと思いつつ、道具置き場付近で佇む。暫くするとK先生が現れ、ご挨拶。基本的には、わざわざ他の学校に行って演劇を観るほど熱心な人間ではないのですが、K先生は今年はコピスも秋季発表会も観に来てくださっているし、去年も興味深いお芝居だったので。なかなか東京の発表会にまで足を運ぶ気にはならないけれど、文化祭というのはちょうど良い気楽さがあるのかもしれません。

さて、今年の演目は『就寝刑』というお話。生徒創作なのだそうだ。幕開きは囚人服を着た男に「就寝刑」が言い渡されるところから始まる。囚人服始まりというだけで少し親近感が湧くわけですが、これが作品の題材となる宣言としてはとても効果的な幕開きでした。

物語は「就寝刑」を言い渡された男とそれを取り巻く囚人・看守たちの物語。それぞれの正義とは何かということを語りかけるようなお話でした。全体としてはの構成がとてもしっかりしていて、生徒創作にありがちな破綻のない骨格のしっかりした作品でした。

終演後、昨年同様、K先生が生徒の皆さんを呼んで講評会のような時間に。昨年も言いましたが、natsuさんは良いですよ。慣れてますから。でも、僕は感覚で生きてる人間なので思ったことを伝えるために言葉に整理するまでに時間がかかります。だから、こういうのがとても苦手。結局、『懐中電灯の明かりを強くした方がいい』と後半のテンポのことぐらいしか言えなかった。(あと、作・演出の喋り方や言うことが小林賢太郎氏に良く似ていたこと。前説で座布団に座って話していた時からそう感じていましたが、後説でも1カ所すごくそれっぽい言葉が出ていたので、好きなのかと思ったら本人は知らない様子。きっと言葉選びのセンスが良いのだと思う)

でも、見終わった後の飲み会でnatsuさんに言われたので、少しだけ作品について書いてみようかと思います。

思考の遅い僕なりに一晩考えて、natsuさんが僕の芝居に良くいう「あと30分必要」という感じはこういう感じなのかなと思いました。不要なシーンは見当たらないのだけれど、もっと必要な場面が沢山ありそうな感じ。しかし、それは次の公演まであと1ヶ月だし、60分に収めると考えると、大きな本の書き直しは難しいと思う。

僕ならどうするかなぁ・・・と考えてみて、やはり主任の看守にアクセントを加えるのが効果的かなと思います。例えば次の3パターンとか。このうちのどれかならば1ヶ月で出来るかも知れない。

①看守と主任看守の関係を見直す
物語の導入で、看守が主任看守に憧れているという設定があるのだけれど、これが後半の足かせになっているかも知れない。観ただけ、脚本を読んでいない状態での感想なので、ひょっとするとその設定に深い意味合いがあるのかもしれないが、「日頃から主任の囚人の扱いに疑問を感じている」ぐらいから始めた方が、後半の展開に上手く作用する気がする。

②主任看守の「影」を描写する
「憧れ」をそのままにするならば、最後の方で変わってしまった自分を嘆くシーンがあったので、それを象徴する短いシーンを入れる。確かに囚人たちの科白の中にそういう描写があったが印象は弱いのかもしれない。例えば、「看守」の前ではいい顔をしているが、主任が来ると相当に囚人たちは怯える」ようにする。つまり、最後の方の主任の「動物」の科白に見合うような場面が1シーンあると後半に説得力が出るかな、と。さらに夜騒いでいる場面のラストの看守が咎められた後に、また囚人がまた騒ぎ始め、看守が来たと思ったら主任看守が現れて一暴れするとか、もしくは労働から疲れて帰ってくる場面の前に労働中に酷い扱いを受ける場面を科白なんか無くて良いので1つ挟むとかがあると更に良い強調できるかな。それを看守が何かのタイミングで知ってしまい、さらに終身刑の男の正義を知るようにたたみ掛けると、少し看守の正義への目覚めに役立つかも。

③主任看守の「影」を表現する
これは対処療法なのであまりお薦めしない。簡単なのは後半の主任看守が看守と言いあう場面で看守を黙らせるぐらいの勢いをつける。もしくは、物語前半をもっと軽い男の描写に変えて振り幅をつける。更にもしくは最後の言いあいの場面の科白の量を減らして、看守の勢いを全て受けて、不気味さを醸し出す。狂気とまでは言わないけれど、何らかの手段で主任看守の影を表現すると物語の色合いが鮮やかになると思う。

・・・と書き進めて気づいたのは、正義を問う物語だけれど悪が舞台上で描かれていないということ。もちろん、『誰にとっての正義か』と問うているので、悪が登場しないというのも分かるのだけれど、やはり対立軸がないとと思ってしまうのは僕が一義性の物語の書き手だからかな。でも、その葛藤を看守に背負わせるのであれば、看守にとっての正義が崩れ落ちる瞬間が舞台上にあって、新しい正義を見つける(それぞれの正義の在り方に気づく)方が良いと感じました。

う〜ん(@_@) やっぱり向いてないな。審査員とかはできそうにない。好き勝手書きましたが、そんなことを考えました。まぁ、的外れかも知れませんが。

しかし、あれだけの作品を生徒創作で作るというのは本当に素晴らしいことだと思います。こういう作品は僕には作れないなぁと思いながら・・・

2件のコメント

  1. いや、これだけ具体的な(建設的な)提案ができるのだから、審査員やるべきだよ(観劇のあと、講評までに考える時間はあるから)。
    看守と主任について、①は全くその通りだと思う。あの設定に深い意味なんてないと思うが、設定に対して責任は取れていないよね。設定は残してもいいと思うけれど、それならちゃんと愛の行方は書いてくれないとね(笑)。

  2. コメントありがとうございます。
    いや、1作品しか観ていないのに、一晩考えてですから(^^;;
    ホント、思考に瞬発力がないのが辛いところです。
    しかしながら、発想の豊かさが感じられる分、1時間で収まる物語ではないなというのが正直なところ。そういう勿体なさが感じられました。まぁ、もちろん長ければ良いというものでもないのですが・・・

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