今年は何故か、教務主任である。最初は何かの間違いだと思ったが、2ヶ月が経過してしまったので、どうやら現実らしい(>_<。) 部活を中心に生活している人間に押しつけるのは危険だと思うが、それだけ人材難ということだろう。
今日は教務主任会という恐ろしい集まりがあった。全県の教務主任が集まるらしい。個人的にはコピス前だし、1時間でも無駄にしたくない時期なのだが、お役目上、行かないわけにも行かないので出かけてきた。
会場につくとM兄さん((仮)・・・感覚的にはそのぐらいの感じなのだけれど、ホントはM小父さんと年齢的には変わらないと思う)に会えた。たぶん、会えると思っていたので捜さずに会えたのはラッキー。最近は青山ねりもの協会の公演の受付で会うことの方が多いので、とっても場違いな場所での再会でした。
M兄さんとの出会いは2005年に遡ります。その年の年末に芸術総合高校で行われた『年末ジャンボ演劇祭』を観に行った僕は、そこで上演された演目よりも幕間のコントに目を奪われました。それが『青山ねりもの協会』との出会い。当時、高校生だった青ねりの面々は実に見事なラーメンズのコントのコピーを繰り広げていた。
その衝撃的な印象を翌1月の関東大会の大道具置き場でM兄さんに伝えると、当時の3年生の舞台の授業の卒業発表を観に来たらと誘ってくださった。普通は誘われても行かないのだろうが、僕は何の躊躇もなく、どうしても観てみたいと勢いづいて行かせてもらった。そうして、2週間にわたって見せて頂いた演目はどれも印象的で鮮烈でした。
それはある意味、当然のことで、舞台芸術科の生徒たちだから、演劇に対して真摯に取り組む姿勢が揺るぎなくあるわけです。そこで表現されていた芝居はその年に観た県大会の芝居や関東大会のどれとも違いました。簡単に言えば、巷で上演されているような普通の演劇だったのです。その中でも特に衝撃的だったのが当時、高校生だった青山ねりもの協会主宰・金谷奈緒さんの書いた『蝶になる家族』でした。僕はその場で上演許可をもらい、その春の発表会で上演させてもらったのでした。
この時、関東大会の芝居を観てもそう感じなかったけれど、ひょっとしたら高校の演劇部でも、高校生らしさを使わずに良い芝居を作ることができるのではないかと感じました。それがそれ以降の僕の指針となり、現在に至ります。坂戸の小父さんが部活動についてや作品に取り組む姿勢について学ばせてくれたのだとすれば、M兄さんは作品の方向性や追求していくべきレベルについての気づかせてくれたのだと思います。
だから、natsuさんやyassallさん、坂戸の小父さんと同じようにM兄さんも『何かを頼まれたら断れない相手リスト』の上位に位置します。そのぐらいの大恩人の1人。
そんなM兄さんと開会までの間と途中の休憩時間にお話をさせて頂きました。きっと、今日はこれがメインだったに違いない(・ω・) 特に演劇の話ではなく、近況を伺っただけですが、何となく癒やされる時間でした。
たぶん、もうすぐ偉くなってしまうので、今が最後の演劇部顧問生活らしい。できたての演劇部で色々大変みたいだけど、頑張って欲しいなぁと願っています(。・ω・。)
(この記事はいずれ2015年5月29日 @ 20:00に移動します)