『俳優のためのハンドブック』絹川友梨 訳

少し間が空いてしまったけれど、継続中の演劇のお勉強。平田オリザ氏の2冊に続いては海外の著作を読んでみることに。選んだのが『俳優のためのハンドブック〜明日、舞台に立つあなたに必要なこと〜』。

この本はデヴィッド・マメットとウィリアム・H・メイシーによる『プラクティカル・エスセティック・ワークショップ』の内容をまとめたもので、著者はそのワークショップに参加していたメンバーによる共著ということになっている。

この本では役者がいかに演ずるべきかが論じられ、その方法についての技術的な内容が整理された形で提示されています。ちょっと難しめだけれど非常に良い本だと思いました。自分が演じてる時に読んでいたら、とても役に立っただろうなと。さすが『ハンドブック』と称するだけのことはあります。

この本では演ずる時に明確な『アクション』を設定することが必要だと述べられています。そして、シーンは単一のアクションまたは複数のアクションによって構成されており、シーンの中に『ビート』という『アクション』の単位を置いて整理することを中心に演技法が構成されています。

その中で最も参考になるなと感じたのが『アクション』についての1つの記述。著者は『アクション』について、あくまで自分自身の行動を示すものであって、他者をコントロールするものであってはならないと定義しています。こんな風に。

たとえば“相手を泣かせる”というアクションは、相手の感情をコントロールしようとしています。しかし、“友人に事実を突きつける”というアクションなら、相手役を結果的に泣かせることができるかもしれないアクションです。しかし、ここでの「泣く」という行為は、あなたがあるアクションをし続けたことによる、誠実な結果であって、コントロールした結果であってはいけません。(絹川友梨訳『俳優のためのハンドブック』フィルムアート社 2012年 P.52-P.53)

役者はその場面で何をすべきかを自覚する必要があります。この本で『アクション』と表現していますが、様々なメソッドでだいたい同じようなことが言われています。僕が師事した先生は『動詞を持て』と言っていました。これもおよそ同じことだと思います。

演劇を始めたばかりの役者に『この場面でこの役は何をしていますか?』と問うと、意外と答えられないことが多くあります。どうも科白を言うことが目的になってしまったり、科白の内容がそのまま役の気持ちであるかのような思い込みに陥ることが多いようです。

しかしながら、科白は何かの『アクション』をしている過程で発せられるのであって、科白を言うために『アクション』しているわけじゃない。なんだか禅問答的な感じもするけれど、そういうことなのだろうと思います。

また、この本で示されている演出家の意図に合わせて『アクション』の調整方法も興味深いものでした。アクションの分析を変えずに演技を修正するのに『副詞』を使うというもの。それも使える副詞と使えない副詞があるらしい。

副詞を選ぶときは、つねに、態度に対しての副詞ではなく、身体的な提示ができるものを選ぶように心がけて下さい。「ゆっくり」「熱心に」「こつこつやる」「ためらいながら」などは効果的な副詞です。
逆に、「楽しく」「愛情に満ちて」「母親のように」は良くない副詞です。なぜなら、これらは身体的ではなく、感情的なことを要求しているからです。(絹川友梨訳『俳優のためのハンドブック』フィルムアート社 2012年 P.185)

この考え方では『アクション』の結果として感情が発生すると考えられるので、『アクション』の調整に感情を使ってはいけないとなるわけです。正しく行動すればしかるべき感情がわき起こるのだから、感情を行動の指針にしてはならないということなのでしょう。この整理の仕方はとても分かりやすいものでした。

・・・と読み進めて、この本もやはりある程度の経験を積んだ人が自分の演技を見直す時に手助けとなるような本かなと思いました。ある程度の経験を積み、ある程度の表現が出来るようになった時に、それをどう活かしていくかの指針になるような、そういった感じの本であるのかなと。

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