『演劇入門』平田オリザ

演劇について勉強をしようと注文した本が続々と届き始めた。どれから読み始めようかと考えて、タイトルからしてこれだろうと平田オリザ著『演劇入門』から読み始めることにしました。でも、読み始めてみると『演劇入門』というよりは『再入門』といった方が良いような気がします。入門編にしては難しいかもしれないけれど、一度立ち止まって読むには良い本かなという印象を受けました。

何故かというと、今の僕が読むと感覚的にしていた作業が整理された形で示されているので『こういう時にはそれが足りないのか』『あぁいう時にはそれが足りないのね』などとても分かりやすかった。最近は感覚的に避けるようになってきている説明科白についても定義が明確で分かりやすい。

しかし、だ………もし自分がこの本を脚本を書き始める前に読んでいたら、脚本を書こうなんて思わなかっただろうなと感じた。著者は戯曲について『誰もが書けるもの』『誰もが書いていいもの』といい、本書を『演劇を作るためのハウ・ツー本』と述べているが、少なくとも僕には『こうすれば書けるけど、どう君にできるの?』という風に感じられた。だから、とても良い本だと思うけれど、決して『入門書』ではないと思う。

さて、このブログは備忘録なので、印象的な部分を感想と共に書き留めておく。ここからを読んでもらうと、上記のように述べた理由を分かってもらえると思う。まずはこれ。

戯曲の場合には、その戯曲、その舞台作品が、「何についての」戯曲、「何についての」作品なのかということを、できるだけ早い時期に観客にうまく提示し、観客の想像力を方向付けていくことが重要になる。(平田オリザ著『演劇入門』講談社 1998年 P.69)

著者はこの後、『ロミオとジュリエット』『忠臣蔵』『熱海殺人事件』、そしてタイミング良いことにBlu-rayを予約したばかりの『王様のレストラン』を例に挙げて、その説明をしていく。この説明はとても分かりやすい。

自分の脚本を振り返ってみると、例えば『I Got Rhythm!』なら『ピアノが持って行かれる』、『To Explosion』では『街を寒波が襲っている』、『Alice! 〜白ウサギのお見合い編〜』では『無理矢理、結婚させられる』、『Eliza!』の前編では『父親が借金まみれ』というような『問題』が序盤に提示されている作品は評判が良い。おそらく観ている人が早い段階で『問題』を把握するとそれぞれのキャラクターの気持ちを状況に照らして、お察しくださるということだろうと思う。

逆に序盤を思わせぶりにした作品は確かに評判が悪い。『The Spirit of !!!』で『博士の実験が許可される』のは中盤に差し掛かってから。『La Esperanza』でアニーが何を断っているのか終盤まで分からない。『Snow White? Bloody Red!』で白雪姫が自ら罠に落ちる理由が終盤まで分からない。これらは、著者のいうところの『小説や映画のよう』な展開なのだろう。これは今後、気をつけることのできるポイントだろうと感じた。

次いで、科白について。

注意しなければならないのは、「対話」と「会話」の違いである。あらかじめ、簡単に定義づけておくと、「対話」(dialogue)とは、他人と交わす新たな情報交換や交流のことである。他人といっても、必ずしも初対面である必要はない。お互いに相手のことをよく知らない、未知の人物という程度の意味である。
一方、「会話」(conversation)とは、すでに知り合っている者同士の楽しいお喋りのことである。家族、職場、学校での、いわゆる「日常会話」がこれにあたる。(平田オリザ著『演劇入門』講談社 1998年 P.121)

著者はこの近辺の記述で『対話』と『会話』の違いを詳しく解説し、演劇では『対話』が重要であると論じている。そして、『対話』が成立するための要素について述べている。

再び自分の脚本を振り返る。『I Got Rhythm!』では幕開きから暫くは孫娘、祖父、孫娘の親友による『会話』で展開する。そこに『旅人』が訪問してくることによって、『対話』が発生し、店の状況などの情報が観客に提示される。 『To Explosion』では幕開きからいる掃除のおばちゃんが、次第に出勤してくる火山局の局員の会話に割り込み、『対話』が発生することによって、火山局が取り組む問題が観客に提示される。『Alice! 〜白ウサギのお見合い編〜』では、女王に仕える三月ウサギ・白ウサギの話と一般人である帽子屋・料理長が『対話』することによって女王様の命令がいかに変わったものかが観客に理解される。『Eliza!』の前半では常識的な娘と非常識な父親の価値観を摺り合わせる『対話』によって父親の非常識な行動が浮かび上がり、家族の状況が観客に提示される。なるほど、確かにこういう作品は説明科白が少ないといわれる。

他方、『The Spirit of !!!』では博士と飛行士の卵、ライト兄弟の弟とその親友といずれも一緒にいる時間の長い人間しか登場しないため、『会話』しか成立しない。『Snow White? Bloody Red!』で7人の小人の『会話』は本来、『あれ』『それ』『これ』など名詞をほとんど使わないでも成立するのだが、それでは観ている人に伝わらないだろうと、あえて具体的な名詞を言うようにしていた。そう考えると『会話』だけで演劇を作ろうとすると説明科白が増えるというのは、その通りであると理解できる。

このような感じで、この本の第1章・第2章・第3章・第4章の前半ぐらいまでは大いに参考となる内容でした。しかし、著者も本文中で、

おそらく、私のこの戯曲創作法も、「ダメな戯曲」の理由を検証するのには、適した方法なのだろうと思う。(平田オリザ著『演劇入門』講談社 1998年 P.81)

と述べているとおり、実際に脚本を書いていたり、多くの脚本に接していると本書の内容をより理解しやすいのではないかなと思います。そういう意味で当初述べように『入門』というよりは『再入門』というのが相応しいのではないかと感じたわけです。

最後に、本書の演劇の技術的な部分(第1章・第2章・第3章・第4章の前半)は大いに共感できたのですが、一方で第4章の後半・第5章の内容、この手法を理論として演劇全般に広げるのには少し難しさを感じました。この部分で具体例として挙げられている事例と著者が述べている自らのスタンスに矛盾を感じてしまい、あまり共感できなかったからです。しかし、まぁ、そのうち分かる日も来るのかなと思うので数年後、また読むようかなと思います。

2件のコメント

  1. これは「再入門」だというのは、なるほどと思いました。
    いま現に脚本を書いている人には、いろいろ自作について考えてしまうことがあるのだろうね。
    わたしの場合は既成ばかりやっていたから、作る側がセリフというものをどういうふうに考えたらいいのか、どういうふうにセリフを役者のものにしていったらいいのかというようなことを、いろいろと学んだような気がします。会話と対話の対比などは、非常に参考になったと思います。
    彼の書いたものにはずいぶん刺激を受けたけれど、彼の作った青年団の舞台(駒場アゴラ劇場で何本か見たことがある)には、あまり面白かった印象はないのですよね。
    たぶん、役者というのはセリフとの関係だけで舞台に存在しているわけではない、というようなことだと思うのですが、でも役者とセリフとの関係について、門外漢だったわたしにはいろいろと考えるきっかけになった本だったのです。

  2. コメントありがとうございます。
    この本は読んでみて良かったと思います。また、脚本を書き始めた人はどこかのタイミングで読むべき本だと感じました。リアルさを重視する著者の会話や科白のやり取りについての考察はとても分かりやすいく、物語を構築していく上で取り入れられそうなことがたくさんありました。僕に取ってはやはり『会話と対話』の考察が1番参考になりそうです。
    ただ、会話や科白のやり取りには自然さが必要だと思うのですが、それでリアルな芝居を作って面白い芝居になるのかは確かに疑問の残るところですが。

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