『駅STATION』高倉健

高倉健さんが亡くなって数日。追悼特番などが始まっている。昨日は家に帰ると、フジテレビの追悼番組がやっていたので、ついつい観てしまった。その流れで『南極物語』を観たのだけれど、どんなに健さん(「高倉さん」と書くのがしっくりこないのが凄いところだと思う)が素晴らしくとも、やはりあれは犬たちの映画。もう少しちゃんと健さんの映画を観たいと思ってしまった。

ということで今日、BS-TBSで降旗康男監督、倉本聰脚本の『駅STATION』を観た。1981年、東宝の映画。natsuさんのブログを事前に読んでいましたが、仰るとおり、印象に残るのは健さんといしだあゆみ、倍賞千恵子のお芝居でした。

映画は、最初の場面から、いきなりクライマックスを迎えたような場面から始まります。健さん演じる主人公・三上英次と妻・直子(いしだあゆみ)との別れの場面。雪のホームで妻と子、義理の父を見送る場面だけれど、この場面を観て、いしだあゆみのファンにならない人はいないと思う。努めて気丈に振る舞い、列車から身を乗り出し敬礼しながら遠ざかっていく姿が切ない。別れの背景が詳しく語られているわけでは無いが、駅舎・雪・列車という背景が実に効果的に別れの切なさを伝えてくる。確かに自動扉の列車ではあの情緒は出ないのだろう。

次いで、英次と桐子(倍賞千恵子)の場面だけれど、ラストの別れの場面が名シーンであることは疑いようもありませんが、幸せ場面好きの僕としては、出逢いから初詣ぐらいまでのシーンが好きです。

英次が最初に店に入り、3分を越える長回しの場面から始まるシーンは言葉数もそれほど多くなく、むしろ淡々と進んでいく2人の会話ですが、重なり合っていき、2人の距離が次第に近づいていく姿が丁寧に描かれています。そして、この一連のシーンの最後にの方に位置する大晦日の紅白のシーン。『舟歌』の流れる場面が何とも言えない空気感で、そういえば最近はこういう日本映画は無くなったなぁと感じました。そこから初詣に行くと物語が動き出してしまうので、この辺までが個人的には一番、好きな場面でした。

それにしても、この作品に限らず、昔の日本映画に登場する女優さんはやはり綺麗です。フィルムの質感もあるのかもしれないけれど、明らかに現実社会とは乖離した美しさがあるように思います。35年近く前の映画を初めて観た僕がそう感じるのだから、当時観た人たちの受けた印象はもっと鮮烈だったではないかと思います。

とりあえず、オープニングは全編見終わった後に観直しました(。・ω・。)

そして、最近の映画と何より違うと感じたのは科白の量。最近の映画をテレビで観る時は何かしながら観ていても科白を聞いていれば内容が分からなくなることは、まずありません。しかし、この映画は科白が少なくワンカットごとに意味がある。観る・聞く・考えるということを同時に進めていないと内容が伝わらないし、観ている側に多くを投げかけるから観る人ごとに印象の違う映画になるのだろうなと思います。

また、こういう映画を見慣れた人には最近の映画は押しつけがましいのかもしれない、と考えると共に、natsuさんが僕の脚本に『説明科白が多い』という理由がよく分かった気もしました(^^;;

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