後になって気がつきました。
熊谷地区のことを書いてしまったら、南部地区のことを書かないとバランスが悪いことに。
う~ん(@@) これが最後だと思って頑張ろう(・ω・)
・・・ということで、南部地区発表会初日の6校につきまして、講評で触れたこと、時間的に言えなかったことなどをまとめました。お気に召さない点もありましょうが、僕なりの観点からの感想ですのでご容赦を。もちろん、ご意見・ご感想があれば是非、お寄せください。僕も勉強させていただきたいと思います。また、学校ごとで分量の差がありますが、ポイントによって説明にかかる分量が異なるためですので・・・
川口北高校『チェンジ・ザ・ワールド』作・石原哲也
不良でいじめっ子集団の1人が、病気の友人との交流、その死を通して、自信の在り方を見つめ直すというような作品。2年生の役者さんを中心に声が良く通り、科白はとてもクリアで聞き取れない科白はありませんでした。また、ケンカの場面などでは男子生徒ならではのダイナミックな動きなどもあり、迫力が伝わってきました。全体にとても元気溢れる表現の作品に仕上がっていました。
しかし、その一方で元気の良さが仇となり、せっかく声は出ているのに必要以上に科白を張り上げすぎてしまって、表現の変化の幅が失われていたことです。例えば怒っている相手を説得するときに相手と同じように声を張り上げてしまっては、ただのケンカになってしまいます。場面によっては下手に出てみたり、なだめてみたりすることもあるはず。大声を大声で制する場面が多すぎ、結果として最後の殴り合いのケンカのシーンが妙に静かな場面に見えてしまったのも残念でした。
演出面ではさすがに暗転が多すぎるのが気になりました。脚本の指定もあるのでしょうが、気になって数えたところ、少なくとも60分弱で12回。これではさすがに物語が断片的になってしまいます。今回は6間ほどの間口の舞台の奥半分に4間幅ぐらいで病室、その前に公園のベンチが配されていましたが、病室を半分ほどにして上下のどちらかに寄せ、公園のベンチを病室に重ならないように配置すれば、病室から公園への転換には暗転を入れなくても済むようになったと思います。
川口総合高校『あの日から/その日まで』作・ささくれ職人(生徒創作)
自殺しようとする少女が25年前にその場で自殺した少女の幽霊の交流を通じて、生きることの尊さに気づくような作品。物語は前半で自殺しようとする少女の話、後半で幽霊が自殺を止めようとした理由が語られます。多くの役者さんが前半と後半で二役を演じていましたが、役柄のイメージを引きずることなくそれぞれのキャラクターが造形されていました。特に涼子/皐月母、慎太郎/田代を演じていた役者さんは1年生と思えないほどの役作りでビックリしました。大道具はシンプルでしたが、衣装や小道具にも気が利いたものが多く、創作脚本ということもあってか様々なアイディアが舞台に盛り込まれていました。
一方で役者さんたちはやはり力みすぎ、科白を発する度に身体が揺れてしまっていました。「動く」と「動いてしまっている」は随分違います。せっかく、良いキャラクターが造形できているので勿体なく感じました。演出面では照明と演技がかみ合っていないところが散見されました。舞台前方の長方形のエリア、上下のエリア明かり、SSと様々な照明を使っていましたが、照明の当たっていないところに立つ場面が多く見受けられましたので、リハーサル時にもっとしっかり確認しましょう。また、転換時に暗転にならないまでも、舞台上に人がいなくなり、明かりだけ点いているという場面が8、9回はありました。やはり、転換プランにはもう一工夫が必要かなと思います。
創作脚本なので本のことを少し。まず、登場人物が多いのに対して、モノローグの場面が多すぎるように感じました。モノローグで心情を語ったり、状況を説明するのは分かりやすいのですが、それを何とか登場人物の会話で浮かび上がらせて欲しい・・・と。全てとはいいませんが、モノローグによる真情の吐露は多すぎると独り善がりな印象を与えやすくなると思います。次に設定についてですが、25年前という設定が本当に必要であったかは考えてみても良いかもしれません。例えば、『25年前の女子高生の幽霊』だから、携帯を知らない、流行りの歌を知らない、口を突いて出る話題は時代遅れという造形をしていましたが、そうすると『25年前に亡くなった成仏していない幽霊』は25年間、何をしていたのでしょう? 自殺をしようとする少女は見えるけど、それ以外は見えないのかな。やっぱり、ちょっと無理がある気がします。そして、一番気になったのは現代で自殺しようとする涼子にアヤメ(幽霊)は見えたのに、25年前でアヤメが自殺しようとした時に、あれだけ懸命に止めようとしている皐月(幽霊)が見えなかったこと。アイディアは面白かっただけに、細かい都合の良さが気になってしまいました。
市立川口高校『夢物語でキミと出会う』作・優人(生徒創作)
演劇部の脚本担当の生徒(優人)が恋人(ユメ)の幽霊との再会を経て、気持ちを整理し、新たな1歩を踏み出すというような話。優人と演劇部員の世良の話し方が比較的、力みの無い科白回しだったため、科白の内容がスッと入ってきました。基本となる科白のやり取りが抑えられていたので、物語の盛り上がりに向けて、感情の盛り上がりが無理なく表現され、主人公の悲しみなどが表現されていたように見えました。
しかし、やっぱり身体が科白に耐えられず、ゆらゆらと身体が揺れてしまっていました。場面にもよりますが、緊張感の必要な場面で一言一言身体が揺れていると、場面の緊張感を作るのは難しいように思います。また、動く際に科白の言い出しで歩き出し、科白の尺の分だけ歩いて、言い終わりで止まるというのが何度か見られました。科白均等割で歩くと、科白の長さと移動距離によってスピードが決まってしまい、科白で表現されている勢いと、見た目の動きの勢いが合わないケースが発生します。動き出し、止まり際には注意が必要です。また、場面転換の照明処理の意図が分かりづらい部分がありました。照明は会場に来てみないと分からない部分もあると思いますが、イメージをしっかりと持って丁寧な転換を心がけましょう。また、音響は特に科白と音楽が重なる部分で音楽が少し大きかったように感じられました。
脚本について。宝塚にもこんな設定の物語があったなぁと思い浮かぶぐらい、アイディアは良いものだったと思いますし、たくさんのアイディアが盛り込まれている意欲的な作品だったと思います。しかし、脚本は『クライマックスの連続』という印象で、それは25分という上演時間にも表れていました。もう少し、日常の場面で主人公の様子や登場するキャラクターたちの関係や存在について描かれていないと、お客さんを物語に引き込むことは難しいのではないかと思います。また、何かしらの能力を持っている部長、カガミと呼ばれる存在や死神など興味深いキャラクターが用意されていましたが、それらについて、あまりにも描かれずに終わってしまいました。象徴的なのは死神で、幽霊であるユメは死神に追われて現れ、途中も死神に連れ去られたりしますが、ユメは何故逃げ、死神は何故追っていたのか。目的・動機がなく、行動のみを表現するのは無理があります。そこの描写や設定はハッキリとしていないと、受け止める側は少し辛いかなと感じました。
武南高校『インフェルノ』作・白石謙悟
現世で様々な殺人を犯した人々が地獄で詰問を受けるというような話。独特の世界観に挑戦しようとする心意気が感じられました。モノローグに近いような長科白の連続でしたが、淀むことなく大きく詰まることもなく、言葉はクリアに発せられていました。キャラクターの造形が難しい物語だと思いましたが、特に塩谷を演じていた生徒さんのキャラクターは変化に富んでいました。
この作品はどこからどこまでが演出の問題か、脚本の問題か分かりづらいところがあります。ただ、確実に役者と演出の問題であるのは舞台上で静止している役者がいなかったこと、常に全員が動いて(揺らめいて)いることです。お芝居をしよう、何か表現をしようとすると、ジッとしていることが悪いことのように言われることがありますが実際は違います。動きを見せるためには止まらなければなりません。止まっているところから、動くことによってお芝居としての効果が出てくるのではないでしょうか。例えば、「それまでジッと顔を見つめていた人が、ふと顔を逸らす」とか、「ジッと向き合っていた人間が突然、顔を背けて歩き出す」とか。緊張感の表現もフラフラしているとイマイチ高まりません。見せたい動きを認識させるためには、止まることがどうしても必要になります。手の使い方も、使うことが目的となっているようで、指を指す、腰に手を置く、両手を天に向けて広げるなどの動作が多くありましたが、多すぎるとかえって肝心な表現を弱めてしまうこともあると思います。
もう一点はこれは脚本と演出の兼ね合いが出てくるかなぁとも思いますが、地獄に落ちた人々のキャラクターや話し方が似てしまったこと。人の狂気の一面を演じる工夫はありましたが、長い場面をその表現だけで乗り切るのは少し厳しいのではないかと思います。狂気のような表現だけではなく、むしろ異常な内容を淡々と話す方が怖いこともあれば、それらを組み合わせることも必要かも知れません。
県立川口高校『トシドンの放課後』作・上田美和
全く異なる背景を持った2人の生徒が、その交流を通じて成長・変化を遂げていくというような物語。有名な高校演劇の作品です。本日、5本目にして、普通の会話が響いてきました。声の大きさはもちろんお客さんに聞こえなければなりませんが、場面に応じた選択が必要になります。また、科白の話し方もその場面に応じた話し方の選択があるべきです。川口高校さんはそういったところが丁寧に仕上げられていました。また、あかね役の3年生さんが1年生、2年生を良く引っぱって、お芝居のリズムを作っていました。これは3年生ならば誰でもできるわけではなく、きちんと経験を積み上げてきたからこそ。さすが、存在感が違うなぁと感じました。
作品を見ての印象としては、舞台を広く使いすぎている印象でした。この会場の舞台は袖幕をせめても6間はあります。奥行きも4間以上ありますから、普通の教室ぐらいの広さがあります。脚本の展開からすれば、もう少し生徒2人の距離が物理的な制約によって近い状態にある方が、交流を持たざるを得ない感じが鮮明になりそうな気がしました。もう1つは音楽のボリュームが大きかったこと。せっかく客席内で操作をしているのですから、科白がしっかりと聞こえるところまでしっかりボリュームを下げた方が良いと思います。でも、そのくらいしか見ていて気になることはありませんでした。とても良い上演だったと思います。
県陽高校『7305日後への伝言』作・久船充
困難な状況に置かれている大切な人のために、タイムマシンを使って過去へ向かい、高校生時代の大切な人からのメッセージを届けようとするような物語。講評で聞いてみたら、人数優先での脚本選びだったようなので、仕方の無いところがありますが、なかなかに困難な脚本だったと思います。『タイムマシンの開発』や『一大陸を吹き飛ばす兵器』や『命を狙われる科学者』などの壮大な世界観が、科白だけで説明されていくのは辛いし、3人芝居にしては物語が壮大すぎて、舞台上で表現されているものとのギャップがかなりありました。この行間を埋めるのは容易なことではありません。照明などに工夫が見られましたが、たぶん相当に苦労したのではないでしょうか。
気になったことを幾つか。役者さんは科白をいう度に身体が揺れてしまっていました。科白を発している時の自分の姿を意識したり、観てもらって指摘を受けるなど、自分の演技について確認をしましょう。また、手振り身振りは厳選することも必要だと思います。演出面ではキャラクター同士の距離感が少し気になりました。未来から来た蛍(男)と女子高生・夏の会話の場面で、蛍が夏の肩に割りと気安く手を置いたりしていましたが、突然現れた、しかも『未来からやってきた』などという男の振る舞いをあっさり受け入れすぎではないかと感じました。
ちょっと、1校ごとが長いな・・・(@@;) でも、2日目に続きます。