1週間ちょっと前、ドンヨリとした気分で帰宅すると1通のメールが届いていました。発信者はエム小父さん(すこし「オズの魔法使い」っぽい表現だけど………)。
エム小父さんと初めて会ったのは、もう9年も前のことになります。その年に関東の発表会に推薦された芝居の方向性について、意気投合したのがきっかけでした。お歴々が対立軸をハッキリさせた方が良いなどという中、二人して『これはそういう芝居じゃない』、そのままで良いと言い、お手紙でお互いの考えを交換したのが始まりだったと思います。
そんなエム小父さん。現在は地区が一緒と言うこともあり、春・秋と定期的に芝居を観てもらえる環境にあります。自称、演劇嫌いのエム小父さんですが、作品の構造や登場人物の造形などについての考察力が鋭く、超感覚的に作品作りをしている僕からすると、指摘されてハッとすることが多くあります。
さて、エム小父さんと昨年、8年ぶりに往復書簡を交わしました。昨秋の発表会の後、僕の芝居について4185文字に渡る感想・分析などが届きました。いつも通り、抽象的な指摘ではなく、エム小父さんならでは角度からの鋭い考察でした。とても嬉しかったので急いで4091文字のお返事を送りました。
そして、今年は来ないかなと思っていたお手紙が届いたのが1週間ちょっと前。
秋の芝居を観て感じたという僕の芝居についての『もう一つの方向性』についての考察が4585文字で届きました。今年の内容は少し難しかったけれど、脚本を考えた時の流れを整理して6677文字のお返事を。すると、今度はそれを踏まえて噛み砕いて整理されたお手紙が2634文字で届き、それを読んで論点がスッキリわかったので今日、5097文字のお返事を送りました。
内容はとても公開できるようなものではないので(これ以上、敵を増やしたくないので(^^;;)、文字数からボリュームをお察しいただきたいのですが、鋭い論点から芝居を分析してくれるのがありがたく、お手紙だから色々と考えを整理しながらお返事できるので、論点が明確になるのかなと思います。
基本的には僕は演劇が好きで、エム小父さんは演劇が嫌いなのですが、どういう訳か演劇についての考え方が似ています。思考の背景も手法も全く違うのに、たどり着く結論が似ていて面白い。なので、問題提起の一つ一つに答えたくなってしまうのです。
今回はちょうど春の芝居に向けて整理していたオスカー・ワイルドの芸術論にも通ずるところがあって、また1つ整理できたような気がします。