熊谷地区の審査を終え、東京大学附属中等教育学校の文化祭を観に行く件でnatsuさんに電話したところ、『せっかく審査に行ったのだからと』とそそのかされたので、劇評的なものを書いてみました。
初めて書くので劇評と言うよりも感想に近いものですし、的を射ているかは分かりませんが、僕なりの観点と言うことでご容赦を。ご意見・ご感想があれば是非、お寄せください。僕も勉強させていただきたいと思います。また、学校間で分量の差がありますが、脚本のこと以外については大体分量を揃えたつもりです。脚本のことに触れると、どうしても長くなってしまうので。
進修館高校『ユメカタリ』作・楽静
教室が舞台となる女の子の二人芝居。勉強に打ち込む女の子と、その女の子に一生懸命に話しかける女の子、その『動と静』のコントラストがしっかりと付いていましたし、それぞれのキャラクターの行動線がハッキリとしていて物語がしっかりと演じられていました。
勿体なかったのは、教室のセット組が下手側に向かって真横だったために、動かない方の女の子の表情が見づらかったこと。教室をセットで組む場合、実際に机を並べたあとに、色々な角度から観てもらい、最適な角度を正面に向けるなど、見せ方の検討を十分にすべきだと思います。この芝居だったら、意外と客席に向かって机を並べても成立したかも知れません。また、動く方の女の子は動きっぱなしにならず止まれるようになると、より動きが強調されるようになると思います。『○○しっぱなしは、してないのと同じ』と昔、良く言われました。
鴻巣高校『ちゃぶ台の詩』作・石原哲也
それぞれのキャラクターをしっかりと造形しようという心意気が感じられましたし、思い切った演技にも好感が持てました。特に3年生が演じた祖母の演技は秀逸、その役作りが後輩さんに受け継がれると良いなと思います。また、舞台の使い方も、明かりでエリアを切ったり、教室の机の置き方なども見やすくなるように工夫されていました。
勿体なかったのは、キャラクターの思いのようなものが弱かったこと、冒頭から最後まで物語が淡々と進んでしまったように感じました。例えば主人公が自分の夢を叶えるために父親を説得する場面があるわけですが、日々繰り返されてきたという設定とは言え、遠慮がち過ぎる感じが。また、父と母がそれぞれちゃぶ台をひっくり返す場面がありますが、ここではそれぞれのキャラクターが思いをぶつけ合って、相当な盛り上がりを付けておかないと、『ちゃぶ台をひっくり返してまで話を打ち切る』という行為が成立しないかなと感じました。
熊谷商業高校『THE 補講〜早く授業を終わらせよう〜』作・吉田へるしー
本日、唯一のストレートなコメディー。会場もウケていましたし、頑張って演じようとする心意気は感じられました。正直、最初はどうなるかと思いましたが、女子生徒を演じていた2年生が登場してからは、1年生を良く引っぱって物語の推進力となっていました。
残念だったのは、まだまだ客席まで科白が届いてこないこと。コメディーって、お客さんが安心して笑えるぐらいの声のボリュームがないと厳しいところがあります。その点で、男子生徒役の声は、まだまだ舞台上で完結してしまっている感じでした。科白は舞台上の相手役に届けば良いものではありません。会場の1番後ろに座っているお客さんまで意識して、声や表現を届けられるように心がけられるようになると良いですね。また、この教室も下手に向かって真っ直ぐの配置が残念でした。また、生徒の机の置き方が、下手側が奥、上手側が手前だったため、生徒同士の会話が舞台の奥へ向かって話しかけるようになってしまい、役者の顔が見えなくなることが多かったことも残念。
さて、既成台本なので本のことを言っても仕方ないのですが、少しだけ。上演台本では補習をする先生とそれを邪魔する生徒という構図が早々に崩れ、生徒が授業をするのを楽しむ方向に進んでしまうので、中盤から先生の行動の目的が不鮮明になっていました。この設定の場合、妨害されても授業をしようとする先生の姿をしっかりと描いていないと、軸となるコメディーのラインが成立しなくなってしまいます。そのため、場面ごとの面白さはあったのですが、作品全体としてのコメディー感が失われていたのは残念でした。
熊谷農業高校『B・HAPPY』作・橋口征司
亡くなった母親の幽霊を中心に、残された家族の姿を描いた作品でした。母親役と長女役の役者さんが舞台を良く引っぱっていました。道具もこの日初めて、パネルの立った芝居でした。パネルを立てれば良いということではありませんが、大道具を作ってみよう、置いてみようとする意欲は買いたいところ。演出面でも最後の写真撮影など新しい家族の始まりを暗示する工夫などが見られました。
しかし、見た目の印象では稽古不足が否めなかった点は残念でした。今日の上演の中では一番、科白が役者に馴染んでいない感じがあり、見ていて心配でした。また、科白に対して当て振りが多く、科白を言う人が常にフラフラしている印象を受けました。日常生活で人を指でさしながら話すことはあまりないと思います。まずはスッと立ち、科白をしっかりと言えるように心がけるのが良い気がします。また、幽霊が登場する芝居で、幽霊が白い衣装ならば、パネルは白以外で塗った方が良かったかなと思います。
また、これも既成台本なので本のことを言っても仕方ないのですが、少しだけ。母親である幽霊が『家族にしか見えない』という設定を宣言するにも関わらず、父親が連れてくる恋人に最初からバッチリ見えてしまうことに違和感を覚えました。亡くなった奥さんにとって、旦那さんの再婚相手は果たして家族なのでしょうか。例えば、2人の娘が再婚相手を母親と認めたら(それでもかなり苦しいけれど・・・)見えるようになるなど、設定を宣言した以上は、その設定が多くの人とって納得できる線での運用を心がける必要があると思います。また、科白のやり取りの間に挟まる、短い独り言のような科白が多すぎて芝居のテンポを狂わせていたようにも感じました。
熊谷女子高校『東西を失ふ。』作・じん@熊女演劇部(生徒創作)
本日唯一の時代物ということもありますし、格好の良さそうな男役が登場する芝居ということで、脚本を読んだときから楽しみにしていました。オープニングは三味線の演奏と波の音を生音で出すという印象的なもの。この幕開きはこの日、一番ワクワクさせてくれるものでした。役者さん達の科白は明瞭で聞きやすいものでしたし、表情も物語の行間を埋めてくれる豊かなものでした。また、衣装は勿論、大道具から小道具まで気が利いていて、妖魔の封印されている岩などは綺麗に作られていました。
しかしながら、県内でも数少ない男役指導の専門家(?)から言わせてもらえれば、男役の演じ方にはまだ工夫の余地があると思います。頑張っているのだけれど、科白回しや立ち居振る舞いが女性的であったことは否めません。男役を演じる場合、容姿や声の高さなどはあまり問題ではなく、話し方や仕草、歩き方などが重要です。もう少しその点を意識して演じるともっと良くなると思います。演出面では場面転換の多さが気になりました。短いシーンの間に長い転換のための暗転が入るのでお芝居のテンポが悪くなっていたように感じます。間口の広い舞台なので、上下に場面を振って転換を減らすなどの工夫が必要だったと思います。
ここから3本は創作劇なので本について、しっかり触れます。まず、とにかく生徒さんが脚本を書くというのは大変なことだと思うので、その挑戦はとっても評価したいと思っています。その上でのことですが、この作品は『家族に絶望して、妖魔のもとに走る妹』というのが話の主軸で、その動機として『馴染みの花魁を身請けするための金を用立てるために、金持ちの友人に妹を嫁がせようとする兄』、『自分の生活のために、かつて預かった子供を吉原に売ってしまった母』などのエピソードが用意されているのですが、妹が妖魔のもとに走るほどの理由になり得ていたのかなぁ・・・と。例えば、兄の描写ですが『馴染みの花魁を身請けするために妹を利用するのだけど、妹の幸せを考えていなくもない』というのは妹にとって微妙に否定しづらい設定です。妹に『駆け落ち(もしくは家出?)』のきちんとした動機を与えるなら、もっと割り切って『馴染みの花魁を身請けするために妹を吉原に売ろうとする兄』などと兄の悪事レベルを上げると、妹が逃げなきゃならない動機が明確になったかもしれません。いずれにしても、妖魔と知りつつ、その封印を解き、一緒に暮らそうと思うに至る妹の動機は、もう少し強めに描かれて欲しかったなぁ・・・と。そこがとても勿体なかったように思います。
熊谷西高校『月の色はいつも朧げに』作・熊谷西高校演劇部(生徒創作)
幽霊が出るという噂の学校の倉庫が舞台の作品。男の子の同級生コンビ、ワケありな恋人達、部活の先輩後輩が幽霊に閉じ込められ、自分たちの本当の気持ちを考えさせられるというような内容です。役者さんたちの声は比較的良く通っていました。特に先輩・後輩チームの2人のバランスが良く(実際の学年は先輩後輩が逆らしいのですが)、話の中心を担う役割をしっかりと果たしていました。また、汚しの入ったパネル、倉庫をイメージさせる雑然と置かれた段ボールの山。大道具からイメージさせられる世界観は台本のイメージ通りのものでした。
しかし、道具はきちんと置かれていたのですが、パネルの立て方の問題で、出入りが可能な箇所が多すぎて、元合宿所の倉庫に『閉じ込められた』という印象が薄れてしまいました。もう少し密室感があると『脱出する』という目的がクリアに表現できたような気がします。また、冒頭10分弱、サスからの青地明かりだけだったのは見ていて少し辛かったです。夜の倉庫に忍び込んだ感じを出したかったのだろうけれど、明かりが付いたとき男の子の同級生コンビはどっちがどっちだか分かりませんでした。イメージは大切ですが、お客さんに優しさを。
脚本については、物語のアイディアは面白かっただけに展開に工夫が欲しかったように感じました。特に人間関係の描写について。幽霊が暗示的なことを述べた直後に『あれ、お前のことじゃないのか』と生身の人間が幽霊の暗示を全て解説してしまったのは勿体なかったと思います。それは是非、お芝居で見せて欲しかった。例えば、幽霊が暗示したようなことが如実に分かるようなシチュエーションを用意して、それぞれの役がやり取りを繰り返す中で、幽霊の言葉が脳裏によぎり『あれは私のことか』と気づくと良かったなぁ・・・と。やっぱり、お芝居ですから説明的な科白で処理せず、役者さんの科白のやり取りや行為によって人間関係が浮かび上がる方が、より立体的な人間関係が描けたのではないかと思います。
秩父農工科学高校『流星ピリオド』作・コイケユタカ(顧問創作)
アナウンスが終わって、音楽が流れて、科白が始まって、舞台上に立っている役者がピシッと立っている。この日初めて、揺れることなく科白の言える役者さんが揃っていました。それだけでなく、科白も滑舌も明瞭、動きもしっかりとしています。日頃の稽古の密度が感じられるものでした。また、舞台も空間に隙なく道具が並び、高さや奥行きを十分に活かしていました。先に脚本を読んでしまっていたので、どうしてもユズハさんに注目してみてしまったのですが、科白のないときにも、繊細に演技を続けているなぁと感じさせてくれました。
惜しむらくは脚本のこと、それに関係した演技のこと。もちろん、脚本はしっかり書かれています。だけれど2つだけ、どうしても気になることがありました。 1つはユズハのこと。この物語は全体の9割近くがLINEのようなグループチャットの中の会話で構成されているのに、ラストシーンの寸前に、ユズハの『動機』が実体のユズハによって、とうとうと語られてしまうのはどうなんだろうと。事前に受け取っていた脚本ではその科白は無かったので、グループチャットの会話の中の受け止めの演技で浮かび上がるのかなと思っていたのだけれど、そうでもなく説明が始まってしまった。この作品の基本構造からすると、ユズハの動機はグループチャットの中で語られ、皆にスルーされるような処理が必要なのではないかなぁ。(僕の好みではないけれど)あの流星とともに見せるラストシーンならば、その前に説明するのは美しい処理ではないと思いました。
もう1つは講評でも演出の生徒さんに質問し、そのあと1人で考えても腑に落ちない『舞台で響いた科白は誰の感情によるものなのか』ということ。LINEのようなグループチャットの中の会話を役者が2次元に起こして演じているわけですが。実際は文字だけがスマートフォンの画面に表示されているだけですから、そこから実際の感情などは読み取れません。となると、舞台上では見事な感情表現が為されていたけれど、これは一体誰の『感情』なのかという疑問が湧きます。講評の時に演出さんに質問をして、『メッセージを書き込んだ人物の感情ではない』ことは確認しました。では、メッセージを読んだ側が文字から受け取った感情なのだろうか。でもそうするとやっぱり『誰がそう受け取ったのか?』が問題になるような気がします。会場からの帰り道でもいくつものパターンを想定しましたが、どのパターンでも何かが欠落します。もちろん、こんなことは気にしなくて良いことなのかも知れませんが、そのうちコイケユタカ氏研究の第一人者(?)である、新潟に行ってしまったM小父さんに聞いてみたいと思います。
すばらしい劇評で、
この方になら審査をお願いしたいと思える内容でした。
ぜひ、今後も
審査員も劇評も続けて下さい。
コメントありがとうございます。
momさんにそう言ってもらえるとは思いもしませんでした(^_^;)
でも、審査員も劇評も続けるかは分かりませんが・・・(+_+)