岩手の准教授

学校である仕事が降ってきた。全く好みの仕事ではないのだが組織上、受けざるを得ないことがある。もちろん、『やらない』『不要だ』と拒むこともできるし、実際にそうする人も多いのだが、時には引き受ける胆力も大切だと思う。

また、今の上司については埼玉県の高校演劇界で数少ない理解者である方に『よろしく頼むよ』と言われている。普段の振る舞いからドライに見られることが多いのだが、本当に恩義を感じた人には誠を尽くす。こういうところが大工であった祖父の血が流れているのかもしれない。

さて、その仕事とは簡単に言うと『教育学』畑の調査研究なのである。昨年までの報告書を読むと目新しい感じは特にない。実践事例報告の域を出ないものが中心であった。これならば、いくらでも何とかなると思ったのだが、それなりの体裁を整える徒労を考えると少し憂鬱な気持ちでいた。

そんなある日、夢を見た。昔から考え事をしすぎるとそのことを夢で見ることが多い。役者をしていた時は稽古した記憶のない芝居の舞台の本番を迎える夢をよく見ていた。今回はこの調査研究の夢である。ほぼ悪夢(;o;) そこに登場したのが岩手の准教授だった。

2008年のこと、前の職場で上司として現れたのが彼であり、この職業について、僕と同じタイプの仕事の仕方で、僕より仕事のできる人に初めて出会った瞬間であった。よって、早い段階で意気投合し、色々と話をさせて頂いていた。彼は教育学の論文もたくさん持っていたし、この年、色々あってホントに苦しそうだったので『大学への転職したら』と勧めた。なにより、大学に長くいて色々な教授たちを見てきた僕としては、管理職として事務仕事をするより、研究職の方が向いているに違いないと思ったのだった。

彼は『僕が背中を押した』と言っていたが、実際はどうだか分からない。しかし、彼は実際にいくつかの大学の公募を受け、この年度末に退職し、岩手の准教授となった。その後、岩手に会いに行ったりもして、研究室も見せてもらったりした。その時にも、やっぱりクレーム処理や書類整理しているより、研究職が向いているんだなぁとつくづく感じた。

しかしである。岩手だ。2011年3月11日を迎える。地震が起きたとき真っ先に頭によぎったのが彼のことだった。すぐにメールをして安否確認をした。まもなくお返事を頂き、一安心したのだが、どのくらい影響したかは分からないが『余計なことを言わなければ』と思わなくもなかった。しかし、ほどなく彼が専門分野を活かして岩手の子供たちの震災後の心のケアに尽力しているという記事を見かけ、安心した。

その後は疎遠となっていたのだけれど、ふと思い出すことも多く、そんな夢を見たこともあって、この数日、色々と考えた。そして、行き着いた結論は、

『どうせ調査研究をするのなら、嫌々、実践事例をまとめるのではなく、岩手の准教授のレクチャーを受けて、前向きに研究に寄せてみよう』

………ということ。その方が精神衛生上、良いような気がした。発想の転換である。

早速、上司に『今回の調査研究について岩手の准教授に相談したい』とお伺いを立てた。幸い、上司も好印象に岩手の准教授を知っていたので、お許しが出た。そっさく、恐る恐る電話をしてみると、以前と変わらぬ物腰の柔らかさでお話を聞いてくださり、ご協力頂けることとなった。

久しぶり一緒に仕事が出来るのは嬉しいし、自分の知らない分野の専門家と仕事が出来ることもまた楽しい。来年度の仕事量を考えると少し憂鬱なのだが、せめて前向きに取り組めるように今から環境整備中………(・ω・)

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