『Le Petit Prince』に登場する飛行士は作者であるサン=テグジュペリ自身の経験が投影されたキャラクターです。むしろ、サン=テグジュペリ自身といっても過言ではありません。
つまり、物語のストーリーテラーである飛行士を理解するためには、サン=テグジュペリを理解する必要があるのだと思います。このミュージアムの展示も、そのほとんどが基本的にはサン=テグジュペリの人生を紹介するものです。映像と展示に添って、サン=テグジュペリについて、まとめてみようと思います。
アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ。1900年6月29日、フランスのリヨン生まれ。小説家として有名ですが、フランス軍や郵便飛行会社でのパイロットとして活躍していたことでも知られています。
幼少期をリヨンで過ごしていたサン=テグジュペリは、1909年にル・マンに移り住みます。このル・マンでは1908年にウィルバー・ライトが公開飛行を行って以来、飛行機に関心の高い街であり、サン=テグジュペリが1912年に初めて飛行機に乗ったのもこの街でした。この飛行体験がサン=テグジュペリの人生を決定づけたと言われています。
1921年に兵役に招集され、民間操縦士、空軍操縦士の資格を取得し、飛行士としてのスタートを切りますが、1923年に不時着事故で頭蓋骨骨折の重傷負い、除隊します。これ以降、サン=テグジュペリの来歴を見ていると飛行機事故を多く経験していることが分かります。当時の飛行機は運転が難しくトラブルも多かったらしいのですが、それにしても多い気がします。
1926年から郵便飛行のパイロットとして活躍。その後、1927年頃からは飛行場長としての業務などが増えていきます。この頃のサン=テグジュペリは郵便飛行のパイロットというよりも、不時着したパイロットたちを救出するための飛行やそういうパイロットを拉致するゲリラとの交渉に当たっていたそうです。この行為により、後にフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受けます。
飛行場長になると執筆活動に勤しむ時間が増えていきます。この頃に書き上げたのがデビュー作の『南方郵便機』(1929年)、ベストセラー『夜間飛行』(1931年)でした。1931年には『Le Petit Prince』のバラのモデルと言われるコンスエロ・スンシンと結婚している。コンスエロはワガママで気まぐれな性格だがユーモアに富み、文章を書き、絵や彫刻も巧みな才媛だったそうです。
その後、1933年にフランスの全ての航空会社が統合してエール・フランスが設立されると派閥争いに敗れ、航空会社を去ることに。しかし、飛行機から離れることを嫌い、飛行機製造会社にテスト・パイロットとして就職するが、入社早々に水上機の着水に失敗するという事故を起こして解雇されます。
1935年、脚本を担当した映画『アンヌ=マリ』が成功を収め、その利益で最新式のシムーン機を購入します。この飛行機でパリ-サイゴン間の長距離飛行レースに参加しますが、12月29日夜にリビア砂漠に墜落。1月1日にキャラバンに救われる間で砂漠での遭難を経験します。
そう、この体験が『Le Petit Prince』に投影された体験となります。この時、砂漠に生息するフェネックという耳の長いキツネに出会います。王子さまの前に現れたキツネは王子さまに語りかけますが、この時のフェネックは巣穴に隠れていたそうです。
その後、1936年にはスペイン内戦、1937年にはドイツを偵察飛行(失敗)、1939年には自動車でドイツに入ります。この頃から反ファシズムの活動に身を投じます。
1939年9月3日、英仏・独開戦。翌日、予備大尉して招集されます。偵察飛行大隊に配属され、様々な偵察飛行を行います。しかし、1940年5月10日から始まるドイツの電撃戦によりフランス軍は敗走し、6月14日にパリ陥落、6月22日に独仏休戦に至り、動員解除となり帰国します。
1940年12月31日、ニューヨークへ。1942年に『戦う操縦士』を発表。この本はヒトラーの『我が闘争』に対する「民主主義の側からする返答」として高く評価されたそうですが、母国フランスでは様子が違っていました。ドイツと休戦した親独政権のヴィシー政府派からはユダヤ人飛行士への賛美が問題視されて発禁処分を受け、ドゴールによる亡命政府派からは結末が敗北主義的でヴィシー政府寄りだと非難されます。
このニューヨークでの生活でサン=テグジュペリはフランス人社会で板挟みになっていたと言います。『あらゆる場所のフランス人への公開状』というフランス人の団結を訴えたけれど、これがドゴール批判と捉えられたりもしたそうです。
そんな中、書かれたのが『Le Petit Prince』でした。こんな背景を持つから惑星を滅ぼした『三本のバオバブの木』を枢軸国に見立てる解釈をする人が現れるのも分かるような気がします。
1942年11月、米英連合軍が北アフリカに上陸。1943年に『Le Petit Prince』が出版された直後、北アフリカに出発します。偵察部隊に参加するもエンジン故障による緊急着陸で機体を破損させ、予備役に回ることに。しかし、1944年5月に原隊復帰を果たしますが、7月31日8時45分に偵察飛行に出発した後、基地に戻ることはありませんでした。
サン=テグジュペリを打ち落としたのはドイツ軍の曹長ホルスト・リッペルトでした。彼はサン=テグジュペリの作品を読んで空に憧れ、パイロットになったそうです。撃墜の数日後、彼は自分が撃ち落とした飛行機に乗っていたのがサン=テグジュペリであったことを知り、彼はパイロットを辞めたそうです。
ここまでが映像と展示の内容です。ミュージアムの9割はサン=テグジュペリの人生について語られています。最後の1割ぐらいが『Le Petit Prince』の展示・・・と言っても、登場するキャラクターがあっさりと紹介されている感じで、サン=テグジュペリについての展示の充実ぶりに対して、あっさりした感じでした。
あまり、『Le Petit Prince』に詳しくなかったわけですが、展示を見通して、作品が書かれる遥か以前から、王子さまのイメージがサン=テグジュペリの中にあって、その人生を通じて物語が醸成されていった感じが伝わってきます。
・・・と同時に果たして、どう切り抜けば60分の物語になるのだろうかと、大きな疑問符が浮かんでしまいました(^^;