卒業~その1~

僕の出身大学は短大改組ブームに乗って四年制大学になった大学です。僕は短大を卒業した後、3年間のブランクを経て、改組された後の大学に編入しました。そこから2年間の詰め込み教育で教員免許を取得したのですが、そこでのお話。

学科定員が200名程度の小さな大学でした。そのため、教職教養の授業は心理と教科教育以外、全て同じ教授が担当されていました。しかし、この教授がウチの大学に過ぎたる人物で、元々は兵庫教育大学で教鞭を執っていましたが定年で退官し、ウチの大学に来ていた先生でした。

教授はジョン・デューイの大家でありました。大学の授業はその色の濃いものでしたから、そこでしか教育学を学んでいない僕の教育観も当然、そちら寄りに仕上がっています。そんな先生がある授業でサブテキストとして用いていたのが大村はまさんの『教えるということ』でした・・・やっと、本題に到達。

大村はまさんは『教えるということ』の中で、先輩教師から教わったこととして、荷車を引く男の話を挙げています。男の引く荷車が泥濘にはまり身動きにが取れなくなり立ち往生していると、その様子を見ていた仏様が指でそっと車に触れると車は泥濘を脱して、男はそのまま荷車を引いて去って行った、というようなお話です。大村さんは、この話を例えに挙げて、

もしほんとうにすばらしい教師であったなら、子どもは私のことなど思わないのかもしれないと私は思います。あの仏様の指のような存在でありたいと思います。そして、豊かな力を、先生の指がふれたことをも気づかずに、自分の能力と思い、自分のみがき上げた実力であると思って、自分に満ちて、勇ましく次の時代を背負って行ってくれたら、私はほんとうの教師の仕事の成果はそこにあると思うのです。(大村はま『教えるということ』共文社 1973年 P.132)

と述べられています。この部分は象徴的なのですが、端的に言えば生徒の先頭に立ってグイグイと引っ張り「先生のおかげ」と思わせるのではなく、サポートをしながらも生徒に「自分でできた」と思わせて自信を持たせることが必要だというという問いかけです。

そういう教育観の僕としては前回、初めて担任をした時を振り返ると力が入りすぎて、全面に立ちすぎたし、生徒の印象に残りすぎたと反省をしました。そこで、2度目の今回はそうならないように振る舞うことを心がけていました。生徒が大きく軌道を外さないように目を光らせつつ、目立たないように先回りしながら自分たちで進めていくように仕向けつつ、よっぽど先頭に立って引っ張る方が楽だと思いつつも、その手法で我慢の3年間。なんとか卒業をこぎ着けました。

結果として、前回に比べれば遙かに担任の印象を薄めることはできたかなと思います。もちろん、それだけではなく、クラス全員の卒業と進路が決まったので、気づかれないようなサポートという点もある程度は成功したかなと思うのですが、自信を持たせて旅立たせたかというと、こればかりは未知数で計りようもなく不安なところ。たぶん、何度経験しても「できた」とは思えないのでしょうが、またの機会が来れば今回の経験を踏まえて取り組めればと思います。

卒業式ともなると色々と思うこともありましたが最後の挨拶もいつも通り、あっさりと済ませて教室を出ました。これが正解というものはないから難しいわけですが、少しずつ研鑽を積むしかないと思う今日この頃です。

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