『A FEW GOOD MEN』ロブ・ライナー★

・・・ということで、『A FEW GOOD MEN』を観てみる。

1992年に公開されたこの映画は脚本アーロン・ソーキン、監督ロブ・ライナー(代表作『スタンド・バイ・ミー』、『ミザリー』など)。主人公のダニエル・キャフィ中尉はトム・クルーズ、タッグを組む女性法務官ジョアン・ギャロウェイ少佐はデミ・ムーア、対決する検察官ジャック・ロス大尉はケヴィン・ベーコン、グアンタナモ米海軍基地司令官ネイサン・R・ジェセップ大佐はジャック・ニコルソンという、映画に疎い僕でも知っている名前が並びます。

映画を観てみると、舞台が映画に比較的忠実なストーリー展開であることが分かりました。映画の方が当然、登場人物は多いのですが、それを削り込んでいたわりには印象はそれほど違っていませんでした。もちろん、映像ですから、抽象的な舞台と比較すれば随分と具体的ではありましたが。

さて、問題の場面について。最後の法廷の場面でのキャフィとジェセップのやり取りです。舞台ではキャフィの科白から、相当な間を取ってからジェセップの反論が始まりました。舞台の感想の方にも書きましたが、

キャフィ『貴方がコードレッドの命令を出したんですね!』
裁判長『答える義務はありません、大佐!』
間。
キャフィ、自分の席に戻る。
間。
ジェセップ大佐、イスを持ち上げガタンと鳴らし、
ジェセップ『いいだろう、答えてやる』

・・・こんなやり取りで、キャフィの動きを含めて沈黙が20秒ぐらいありました。これはこれで成立をしていて、観ている時は特に違和感も感じなかったのですが、見終わった瞬間から、この間が気になって仕方なくなってきました。アーロン・ソーキンやロブ・ライナーがこういう間を取るだろうかと。

それが映画を観てみるきっかけになったのですが、映画ではこうです。吹き替えの科白を追ってみると、

キャフィ『貴方はコードレッドを命令しましたか!』
裁判長『質問に答える必要はありません!』
ジェセップ『(遮って)いや、答えてやろう。答えて欲しいのか』
キャフィ『私には答えを知る権利がある!』
ジェセップ『(遮って)答えて欲しいのか!』
キャフィ『(遮って)真実を知りたいだけだ!』
ジェセップ『だったら、真実を教えてやろう!』

・・・とこんなやり取りでフェンスの話に進んでいきます。『やっぱりねぇ』という感じ。映画のこの部分のやり取りを観て、これならば納得という感じでした。何が違和感だったというか、この場面のポイントは『挑発された人間が思わず立て前を乗り越えて云ってしまう本音』だと思います。間を取ると『怒り』の表現は際立つのですが、『思わず立て前を乗り越える』というのが成立しづらくなるような気がします。だって、間を取ったあとで語り出すと、それなりの覚悟のようなものが滲んでしまうからです。

僕が違和感を感じたのは、間の後の科白が始まった時ではなく、科白が終わった後、自分が本当のことを言ってしまったことによって周りがざわつき始めているのに、その状況が理解できていないジェセップの姿を見た時でした。勢いのままに喋ってしまったなら、この状況は成立すると思うのですが、あれだけ間を取った後で後先考えずに怒鳴り散らしたのだとすると、そんな人が前線司令官として勤まるのかと思ってしまいます。

何となくですが、改めて映画版を観てみると、舞台版でもこの作品の扱うテーマの重厚さは伝わってきたのだけれど、アーロン・ソーキンの作品の持つ洒脱さが色あせ、日本的な表現に染め直した感じだったのかなと思いました。色々な表現方法があるので、それが間違いではないと思うし、演劇作品としては十分に面白かったのだけれど、原作を活かす形で舞台化すると(元々は舞台作品だったはずだが)、どんな感じになるのかと考えさせられました。

(この記事はいずれ2015年6月28日 @ 12:00に移動します)

2件のコメント

  1. トム・クルーズの正面切った問いに対して、受けるのがジャック・ニコルソンということでこのやり取りを想像すると、鮮やかにその場面が浮かんでくる気がします。間なんか取らないよね。勢いのまま喋ってしまって、周囲の状況の変化に気付いたあとのニコルソンのなんとも言いようのない表情も想像できます。

    というところで、この映画が公開されたのが1992年というきみの記述に気付いて、これはまだわたしが映画漬けになっていた頃だから、もしかしてと思って探してみたら、ありましたプログラム。
    わたし、この映画、見ていました。でも、全然覚えていません!
    プログラムを読み直しても、何もよみがえってくるものがなくて、まあ、いろいろなことをどんどん忘れているのですから、20年以上も昔のことでは仕方がないかなと。
    せっかくきみと共通の話題が出来たのに、残念です。

  2. コメントありがとうございます。
    プログラムが出てくるところがさすがですね。この映画のクライマックスのブログで取り上げた部分で、トム・クルーズとジャック・ニコルソンの対決の部分だと思うので、そこのイメージが浮かんだのであれば、この映画については十分なのではないかと思います(^^;;
    色々な表現方法があると思うので何が正解ということはなく、『怒り』の表現は間を取ることで強調され、とても良かったのですが、その反面、間を取ってしまうと、色々なことに思いを巡らせたんだろうなという印象を与えてしまい、そのあとに状況が把握できてない姿を見せられてしまうと、逆に浅はかさが強調されてしまうような気がしました。
    やっぱり、色々なものを観ることは大切ですね。

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