『JESUS CHRIST SUPERSTAR』2012 アリーナ・ツアー

DVDやBlu-rayを買い込んでは観る時間が無くて積んであるのですが、先日、ペンキを塗っている時にBGMとして日本版の『ジーザス・クライスト=スーパースター』を久しぶりに聞いて時にそういえばアリーナ・ツアーのBlu-rayを買ってあったなと思いだし、積んであるところから引っ張り出してきて、コピスのプロットを考えつつ観てみた。

『ジーザス・クライスト=スーパースター』は1971年にブロードウェイで初演されたが、1969年に『Superstar』のみがシングルとして発表され、翌1970年にLP盤として発表された作品でした。作曲はアンドリュー・ロイド=ウェバー、作詩はティム・ライス。日本では1973年に『イエス・キリスト=スーパースター』として劇団四季が初演。鹿賀丈史さんや市村正親さんのデビュー作として知られています。

この作品はイエス・キリストの最後の7日間を題材にした作品ですが、宗教色の強い作品であるために、その解釈や聖書への忠実性であるとか、そもそも神への冒涜だなど、敬虔なキリスト教徒の方々には受け入れ難い作品らしく、色々と抗議も受けている作品。

このBlu-rayでは2012年のアリーナ・ツアーの映像を見ることができる。現代的な演出なのでそこは好みが分かれるかもしれないが、音楽のオペラ形式のロック・ミュージカルの迫力が遺憾なく発揮されている。キャストも『イスカリオテのユダ』役のティム・ミンチン、『ジーザス』役のベン・フォスター、『マグダラのマリア』役のメラニー・Cのいずれも素晴らしい。個人的には『I Don’t Know How To Love Him』でメラニー・Cがアイシャドウと口紅を拭い落とすところが印象的でした。

さて、そもそもキリスト教徒でもないので、内容について、あれこれ述べるつもりはないのだけれど、作品の構成として考えさせられる部分があるでちょっとだけ。

前述の通り、先日ペンキを塗りながら、このミュージカルを聞き始めました。歌詞も音もだいたい憶えているので、曲に併せて口ずさんでいたのだけれど、突然、今まで気にならなかったことが気になってしまいました。

何かというとこのミュージカル、序曲後の最初の曲『Heaven on Their Minds』でこのミュージカルの内容がほぼ全てが語られています。例えば『神様と誰も彼を呼ばなくなればどうなる』『やがて彼らに背かれたあげくに押しつぶされてしまう』『我らは生き延びたい だが望みは薄れた』『味方なんか もうない』という具合。どうして、物語の冒頭にこういう歌詞を持ってきたのだろうか、と。

少し考えてみると、まずベースとなる内容は恐らくキリスト教圏の人々にとっては、知らない人はいないような内容なのだと思います。『キリストの最後の7日間』と言われれば、どんな内容なのかというのはパッと頭に浮かぶ。つまり、『物語の結末』を気にしてみる人はほとんどおらず、『そこに至る過程』を観る作品なのだと理解しました。

日本人的に言うと、『桃太郎』を上演するとしたら『どんな物語だろう』と思ってみる人はいないだろうということだと思います。たぶん、『あの話をどんな風に表現するのだろう』という興味で観るのだろうと。そう考えると、最初に結論を述べても作品には難の影響も及ぼさない。むしろ、キリスト教に疎い人にとっては『こういう話を始めますからね』と言ってくれた方が分かりやすい面があるのかもしれません。

そう考えると、あえてそうする必要は無いかもしれないけれど、物語の知名度によって導入は当然変わってきて、知名度が有り余る作品の場合はこういう導入もありなのかと思えてきました。まぁ、今まで気にならなかったのも、なんとなくそのことを理解していたんだと思うですが、改めて腑に落ちた感じです。

いずれにしても、やっぱりアンドリュー・ロイド=ウェバーのミュージカルは音楽が素晴らしいと改めに感じました。

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