高橋是清翁記念公園★

(この記事はいずれ2016年7月10日 @ 23:00に移動します)

草月ホールに行くために地図を調べていたら、隣に『高橋是清翁記念公園』があるらしい。高橋是清と言えば戦前に日銀総裁・蔵相・首相などを歴任した人物で日露戦争の戦費調達や昭和金融恐慌の収束などで活躍した。戦前を代表する金融行政の大物。僕のメディア・リテラシーの授業では必ず登場する重要人物でもある。これは是非、立ち寄ってみるべきだろうと思い、少し早めに出発しました。

都営地下鉄・大江戸線の青山一丁目駅で下車し、草月ホール方面へ歩き出すと、ほどなくして滑り台のある公園が見えた。プレートを見ると『高橋是清翁記念公園』とある。

住所は港区赤坂。昔は隣のカナダ大使館も高橋邸の敷地だったそうな。
住所は港区赤坂。昔は隣のカナダ大使館も高橋邸の敷地だったそうな。

手前側には遊具施設が置かれているが、奥のほうを見ると背の高い木が茂っていて、それらしい趣がある。公園に入るとすぐに案内板があり、それによると『高橋是清翁記念公園』は戦前の高橋是清総理の邸宅跡を整備して、1941年に記念公園として開園したものらしい。母屋は都立小金井公園の『江戸東京たてもの園』へ移築されているとのこと。

公園に入ると直ぐの場所にある案内板。
公園に入ると直ぐの場所にある案内板。
看板の左側。公演の沿革について書かれています。
看板の左側。公演の沿革について書かれています。
公演の案内図。シンプルで高橋翁の像以外は説く二界説も無い。
公演の案内図。シンプルで高橋翁の像以外は特に解説も無い。

公園の奥へと進んでいくと、日本庭園風に整えられている。

園内を流れる水路。秋は紅葉が綺麗らしい。
園内を流れる水路。秋は紅葉が綺麗らしい。

石灯籠や石像などが置かれているが、家の庭に置くにはこの石像は少し怖いような気がする・・・

かなり大きな石灯籠。往事の庭園の広さを感じさせます。
かなり大きな石灯籠。往事の庭園の広さを感じさせます。
謎の石仏。庭にあるものとしては少し不気味。しかも、沢山ある(--;)
謎の石像。庭にあるものとしては少し不気味。しかも、沢山ある(–;)

さらに奥へと進んでいくと高橋是清翁の像がある。『だるま蔵相』などと親しまれた人らしくふくよかで穏やかな表情の像です。

少し小高くなっている部分の上に像は置かれています。
少し小高くなっている部分の上に像は置かれています。
像の傍らに立つ石碑。
像の傍らに立つ石碑。
高橋是清翁の像。昭和30年に再建されたものらしい。
高橋是清翁の像。昭和30年に再建されたものらしい。
横からも撮影。やはり風格のある像です。
横からも撮影。やはり風格のある像です。

そこから大通り側へと向かうと石碑が建てられています。

高橋翁の略歴とこの公演の沿革が書かれた石碑。『東京市』との記述に時代を感じます。
高橋翁の略歴とこの公演の沿革が書かれた石碑。『東京市』との記述に時代を感じます。

内容は高橋是清翁の略歴とこの公園が整備された経緯が書かれています。ちょっと長いけれど、髙橋翁の略歴の部分を書き起こしてみると、

髙橋是清翁ハ安政元年江戸芝ニ生ル幼少轗軻不遇十四歳ニシテ
北米ニ渡航刻苦勉學シ長シテ轉々窮境ニ在ルモ氣宇益髙邁識見
常ニ卓拔夙ニ特許制度ヲ創設シ殖産興業國家經濟ニ盡瘁シ或ハ
戦時財政ノ確保ニ貢獻スル所多ク日本銀行總裁大藏大臣ヲ歴任
シテ遂ニ首相ノ樞職ニ就キ日夜一死報國ノ純忠ニ終始セラレタ
昭和十一年二月倏忽トシテ此邸ニ薨ス年八十三本邸ハ明治三
十三年以来翁カ日常起居ノ處ニシテ之ニ臨メハ洵ニヨク其ノ髙
風雅懐ヲ偲フニ足レリ

・・・と書かれています。気になるのは太字の部分。『倏忽』とは「時間がきわめて短いさま」とか「たちまち」という意味で、『薨』は「薨ずる」などで身分の高い人が亡くなったことを表す言葉。つまり、

『昭和十一年二月、たちまちのうちにこの邸で逝去された』

というような意味になります。高橋是清翁は二・二六事件の際に自宅で暗殺されたわけですから、これを『たちまち』という表現で済ますのはいかがなものかと思います。しかし、この石碑が建てられたのが昭和16年6月であることを考えれば、この年の暮れには太平洋戦争に突入していくわけですから、このくらいの表現が精一杯のところだったのかもしれません。

髙橋是清翁が財政緊縮策を講じる中で軍事予算も例外としなかったために反感を買い、陸軍皇道派による二・二六事件で暗殺されました。実際、髙橋翁が蔵相として関わった昭和11年度の国家予算に占める軍事費の割合は47.6%、髙橋翁が暗殺された翌昭和12年は69.5%まで跳ね上がり、以降は昭和20年に至るまで70%を越えた状態が続くようになります。

日本が太平洋戦争へと向かって加速していった、その始まりがまさにこの場所だったわけです。 そう考えると、単に元首相の住居跡という以上の意味合いが感じられるような気がしました。

せっかくの機会なので、家の近所でもあるので、今度は実際の事件の起こった母屋が保存されている江戸東京たてもの園に行ってみようと思います。


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