『Eliza! =SEQUEL “It’s Never too Late!”=』設定

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※『Eliza! =PREQUEL “Let’s Work Earnestly!”=』のラストシーン。

さて、ここから始まる後編の『Eliza! =SEQUEL “It’s Never too Late!”=』。

前編は『真面目に働こう!』、後編は『遅すぎることはない!』。サブ・タイトルまでは割とあっさりと決まったのですが、ストーリーの展開については試行錯誤中。まぁ、頭の中を整理しながら。

まず、コピスに掛ける演目なので、とにかく楽しんでもらえることを考えます。これは僕なりのハードルで、コピスに掛ける演目はとにかく老若男女、誰が観ても楽しんでもらえる作品を目指さねばと思うのです。特に今年もファスティバルの最後の演目なので楽しい気分で帰路についてもらいたい。また、来てみようと思ってもらいたい訳です。

それを踏まえて構成を考えます。

『ピグマリオン』の最大の見せ場はヒギンズがイライザを貴婦人に仕立て上げるところ。これが物語の中心になることは間違いありません。でも、バーナード・ショーの表現にはちょっと違和感があります。ノーベル文学賞に弓を引くのは気が引けますが、今回の『Eliza!』はその違和感を自分なりに解決してみようというのが始まりでした。

バーナード・ショーは教育手法が完璧であれば、教育者はどのような人物で構わないというような人物造形をしています。また、同じく教育手法が完璧であれば、教育を受ける本人の動機や意欲はどうでも良いような表現も散見されます。これらはヒギンズのイライザに対する態度に良く現れていて、ヒギンズは見事なまでにイライザの意欲を削ぐような態度ばかり取ります。

これはバーナード・ショーがこの作品で訴えたかった『教育を受けることによって人は変われる』ということを強調するためかも知れません。『正しい教育さえ受ければ人は変われる』と。でも、人間はそんなに単純じゃない。もし、ヒギンズがイライザをケンブリッジにでも入れるというのなら、彼の手法でも可能だったかも知れないけれど、彼はイライザを『公爵夫人のように』仕立てようとしていたわけです。つまり、知識を詰め込むだけじゃなく、内面も育てる必要があったわけです。

実際、物語の中でヒギンズは物語の中で一度、挫折します。『マイ・フェア・レディ』でいうと『アスコット競馬場』の場面。話し方は上手になったが、話す内容が追いつかない様子が描かれます。本来ならば、これはヒギンズの大きな挫折であったはずだけれど、失敗は認めている様子は描かれるのだが、これを受けての彼の変化については、ほとんど触れられていません。

もちろん、ヒギンズ流の教育が必要であったことは間違いありません。でも、イライザの変化はヒギンズの教育も、ピカリング大佐の優しさも、ミセス・ピアスの厳しさも、父アルフレッドのダメダメさも、フレッドの愛情も必要だったと思います。どうも、『教訓的なもの』を強調するために人々とのつながりのようなものを薄めているように思えてならないのです。

そこで浮かんでいる漠然としたイメージは、もう少し人とのつながりの中で成長していくイライザの姿です。やっはり、人間は人との関わりの中で成長するという考え方が自然じゃないかなと思います。もちろん、その中に『正しい教育手法』が加われば効率が良くなると思いますが、それが全てであるというのは無理があると思うのです。

・・・などと色々と考えた結果、イライザの成長を軸に、その周りを彩る人間模様を描いてみようかなと思っています。これは『PREQUEL “Let’s Work Earnestly!”』で表現したものとつながって来るんじゃないかと。

もちろん、ウチで上演するわけですから、それらしい華やかさも加えながら、ただのシンデレラ・ストーリーに終わらないように考えてみたいと思います。

追伸 当初、ダメ親父は役者が別の役を演じる予定のため、登場しない予定でした。でも、前編で殊の外、好評だったので、『二役やってみる?』とお願いして、1シーンだけですが登場させることにしました。短いシーンですがインパクトのあるように登場させようと思います。

 


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