脚本を書くということ『2.禁じ手編』

※少し病んでますので、高校演劇を愛する方は読まない方が・・・

『1.動機編』で述べたような訳で脚本を書き始めたので、高校を舞台にしたり、高校生が中心の物語を書くという選択肢は始めからありません。それならば世間で評価されている脚本が沢山あるからです。

そういったことを踏まえて、自分が脚本を書き始めた時にしないようにしようと決めたことがいくつかあります。いわば禁じ手。

1.身近なところを題材としない

色々なお考えがあるでしょうが、僕は高校の教員が高校生に演じる『高校生役』のセリフを書くことに違和感を感じていました。その場合、結局、大人のフィルターを通った高校生になるので、それを『高校生らしい』と評価するのにも違和感を感じます。一方で、作劇の上手・下手はともかくとして生徒創作に登場する高校生の方がよっぽど好感が持てます。なので、そういう本は書かないようにと決めました。まぁ、多分にひねくれたヤツなので・・・

2.主義・主張を代弁させない

演劇の種類としては色々な思想的なものを主張するものがあるのは良いのですが、学校の先生が生徒を通して、それをしちゃならんだろうと思います。1と重なる部分になりますが、たまにそういう芝居があってゾッとしますが、顧問創作でしっかり生徒と共有できていない主張が舞台で繰り広げられていると、何だかなぁと思います。僕は一番近いところで、そういったところをキッチリと共有しながら芝居を作る小父さんの作品作りを観てきたので、これは真似できないとも感じています。

3.流行語や有名人の名前は使わない

物語の中で面白いことを表現しようとすると多少の時間がかかります。ある程度、話題を振っていく時間が必要になるからです。例えば、最近、流行りの言葉、話題になった出来事、有名人の名前などを使うと序盤から軽く笑いが取れて便利だし、『〇〇のような顔』と例えるのはイメージを伝えるに便利なのは分かりますが、そういった客席とのイメージの共有は世代間によってギャップのあるものなので、安易に使うべきものではないと思っています。なので、そういうことはしないことにしました。

・・・という条件を踏まえて題材を考えるとあぁいう作品群に仕上がってきたわけです。もちろん、僕が勝手に決めていることなので、そうでなければならないと云うことではありません。しかし、僕は顧問が本を書く以上は、生徒には書けないような内容であるべきだと個人的には思います。それは技術的に優れていると云うことではなくて、生徒が書きそうなことを書くべきではないと云うことです。生徒が書きそうなことは、生徒に書かせた方が良いと思うからです。

その一方で、高校演劇では変わったテーマを選んでいることへの風当たりはヒシヒシと感じています。もちろん、作品ごとに良し悪しがあるので一概には言えませんが、全ての作品を通して僕の作品を見続けてくれている人はそういうことは仰いませんが、それでも最初の頃は『同時代性に欠ける』と随分と言われました。ほぼ同じ意味合いで『高校生らしさがない』とも言われるのですが、ウチの演目で『高校生らしかったら』それはそれで失敗だろうと思いますし、そういうことを言う人は高校生らしく元気良くやったら、『〇〇に見えない』とか言い出すに決まっているので、綺麗に受け流すようにしています。

こういった点を踏まえて、脚本を書き始める訳ですが、脚本を書くにあたっても色々と気をつけて書くようにしてきました。それについては別にまとめます。

(『3.書き方編』に続く)


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