100通りの完成形★

(この記事はいずれ2015年9月20日 @ 23:00に移動します)

注・久しぶりに書きすぎたので、高校演劇がお好きな方は読まない方がいいと思います。

秋季発表会が終わりました。

今回の作品は残念ながら、率直にいって仕上げきれなかったという意味で色々と仕方ない部分があると思っています。それでも部員たちの成長という意味では収穫も多く、これから春、あわよくばコピスまで面白いことができそうな気がしています。

しかし、何というか、ねぇ、

『その上手さは必要か?』

とか、

『高校生は下手でも等身大に元気であれば良い』

・・・と面と向かって講評されては、呆れてしまって返す言葉もありません。まぁ、僕もウチの部員もさすがに最近は慣れてきていますが・・・

結局のところ、この数年、適当に褒められた後に、『何でこんな演目選んだのか』ということ以上のことを言われていません。『こういう演目を何故選んだのか』という裏には『こういう芝居を選べ』という意味が多分に含まれています。それがどれだけ傲慢なことだか分かっているのだろうかと呆れ、そういうことを平然と言えることに驚きます。

これがウチだけだったら、まだいつものことかなとも思うのですが、他の学校にもその調子だったというから、余計に腹が立つわけです。

特に高校生が高校生以外を演じる時に『役についての理解』を持ち出せば凹ませると思っている人が多くいます。しかし、それは大きな間違い。役を真摯に演じる人間は想像以上に役について考え、理解しています。ただ、それを『表現できない』ことはあるかもしれないけれど、『理解していない』ことは滅多にありません。だから、誰かが脚本を読んで、ちょっと指摘できるようなことは、とっくに考えていると思った方がいい。

また、演劇は演出や役者が、作品を役をどう解釈したかを楽しむという側面があることも忘れてはいけません。例えば、日本人の演出し演じるシェイクスピアをイギリス人がどう観ているかというようなことです。恐らく自分たちになじみ深いに作品を遠く日本の人たちはどのように理解し表現しているのかを楽しむのだと思います。

つまり、ある国籍・世代・性別の人間が、ある別の人間を演じる時、作品に描かれた世界を『どのように受け止めたか』を提示するのも立派な表現なのです。ある役者の代表作が再演を繰り返されるのも、20代、40代、60代で作品に対する受け止め方が変化し、表現が変わっていくのを楽しむ側面が必ずありますと思います。

だから、どんな題材だって高校生が取り組む意義はあるのです。よって、『こういう演目を何故選んだのか』とか『こういう芝居を選べ』という考え方は演劇の多様性を認めない狭い了見の指摘だと言わざるを得ません。ただし、脚本について問題は少し複雑で、その良し悪しはあると思うので、そこは混同しない方がいいと思いますが。

そして、演劇は当然のことながら、作品ごとに目指すべき『完成形』が違います。『あれが良かった』『これが良くなかった』というのは自由ですが、『こうするべきだ』というようなことは無責任に言うべきではないと思います。

ある演目について語ろうとする時、その演目の『理想像』がイメージできなければ、改善点は見いだせません。でも、それはとても難しい。単に自分の良く知っている芝居に近づける方法ではなく、100本の芝居があれば、100通りの完成形をイメージして、その理想像から見て何が足りないのかを指摘できなければ、的外れな指摘になってしまうということは肝に銘じておくべきだと思います。

もちろん、的を射た指摘をしてくれる方もいます。ウチの芝居の場合は『宝塚っぽい』であるとか『大衆演劇的』であるとか『商業演劇的』であるとか言われることがありますが、そう仰る方々の方が、ウチの芝居の『物足りない』部分を的確に感じ、的を射た指摘をしてくださいます。

逆に普段、高校演劇を中心に観ている人は、そこに軸足があるのでウチの芝居のトーンに違和感を感じるのでしょう。そして、反射的に『もっと高校生らしく』とか言ってしまう人が多い。しかし、果たしてそれは『高校生らしく』した場合に、どんな結果を招くかまで想像して指摘しているのだろうかといつも疑問に思う。とてもじゃないがそうは思えない。

・・・ともあれ、最近思うのは、この繰り返しにウンザリして、それに合わせた芝居に転向した人も多くいるんだろうなぁ、ということ。まぁ、気持ちは少し分かりますけど(・ω・)


100通りの完成形★” への4件のフィードバック

  1. もう飲んでしまって寝る前だから、とりあえず言っておきたい。
    ウンザリなんてしていないで、とことんやって、訳のわからん連中を黙らせてほしい。

  2. 原作では「あながた誰だか私には記憶がありませんね。外に馬車が待っていますよ。」というプライスの科白が、「どうぞお幸せに。」に変わっていましたね。私はそこに智さんらしさを感じました。そして、そうなるためにはラルフにはどうしても自分の過去と向き合い、引き受ける覚悟をするまでの心の変化が必要でした。仕上がり具合については私のブログでも少しふれましたが、ドラマの中味自体は進化し続けていると思います。つまらない審査員のつまらない講評(自分にも降りかかって来ますが)など気にせずに、我が道をきわめて下さい。応援している人はたくさんいると思いますよ。

  3. natsuさんへ
    コメントありがとうございます。
    もちろん、クリスマス公演、卒業公演、春季公演と休む暇はないので、頑張っていきたいと思います。

  4. yassallさんへ
    コメントありがとうございます。
    原作ものなので、原作にある科白はすべて見直して、できるだけ取り入れるようにしました。でも、プライズの最後の科白は『外に馬車が待ってますよ』の方がカッコいいのは分かるのですが、もちろん犯人である確信があったにしても随分と追い回した相手への最後の言葉にしてはどうだろうと思ってしまったのです。
    もちろん、今更変える気もないので我が道を行くので僕自身に風当たりが強いのはいいのですが、秋はそれが生徒に向けられるので耐えがたく感じています。

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