背中

2005年5月のことだから、もう10年前の話です。その年、埼玉会館が改装中だったために確か熊谷会館で埼玉県の演劇連盟の総会が行われました。演劇部の顧問になったばかり、春の発表会でようやく地区の先生たちの顔を覚えたぐらい時期だった僕は、そこで初めて坂戸の小父さんを紹介されました。

その時の印象は優しい人であり、厳格な人でもあるんだなというものでした。学年的に考えるとまだ代替わり前だったはずなので、頭の中でコラージュしてしまっているかもしれないけれど、もうその時には傍らに僕が知る限りの範囲で高校演劇で最高の舞台監督Tさんがいたような記憶もあります。とにかく、熊谷会館のロビーで初めて紹介された光景を今でもハッキリと憶えています。

そこから約2年間、坂戸の小父さんとは頻繁にお会いする機会がありました。最初の年はその後、コピス・県大会をご一緒して、坂戸の小父さんのところは関東大会へ進み、関東が埼玉会場だったので関東大会中も色々と話をさせて頂きながら、つぶさに作品も見せてもらいました。次の年もコピス・県大会をご一緒して、坂戸の小父さんのところはやっぱり関東大会に進み、新潟会場での開催でしたが、会場下見にも一緒に連れて行ってもらい、帰り道には当時の3年生から演劇部のこと、坂戸の小父さんのことを色々と聞かせてもらいました。本番はもちろん客席で作品を観ました。僕が知る限りの高校演劇で最高の作品はこの時の演目であることは10年を経ても全く揺るぎません。

さて、何でこんな書き出しから始めたかというと、今回のコピスの話です。

2006年のコピスみよし(第5回)の時、自分の学校の上演を音響卓の隣で聞いていて、こんなにも言葉が届かないものかと感じました。別に声量が足りない訳ではなく、音としてはもちろん聞こえているのですが、とてもじゃないけれどお客さんの気持ちに届くような感じではない。そんな中、坂戸の小父さんのところは他の学校と歴然とした差がありました。当時のコピスの上演校は5校でしたがその中で唯一、ちゃんと言葉が届いていました。これは声の大きさのことではありません。抽象的で申し訳ないのだけれど、声は大きければ良いというものではなく、言葉が伝わることが大切だと思うのです。この時から坂戸の小父さんが、おそらく唯一の目標となったのだと思います。

こう書くと違和感を感じられる方もいると思います。僕のところがなかなかのレアキャラなので坂戸の小父さんの作品と僕の作品を比べることのできる人は限られると思いますが、両方を知っている人からすれば、僕が坂戸の小父さんのところの作品を目標にしているとは表面的には感じられないと思います。でも、そういうことではないのです。坂戸の小父さんの演劇には、作品に対する姿勢や考え方、観客への気配り、そして確かな技術によって作品は支えられるべきであるという真摯さが常にギュッと凝縮されています。その姿勢こそが目指すべき目標たるのだと思うのです。

さて、それから10年が経過し、第15回のコピス。思い返してみれば、最初の会場下見でもそんなことを言われたような気もしますが、今回はとにかく発声についての感想を多く頂きました。当日の上演が終わった後も、知り合いと顔を合わせると、まず発声について、科白が聞き取りやすかったという感想を多く頂きました。個人的にはもっと観客を意識する必要があると思うし、イントネーション、アクセント、アーチュキレーションも甘すぎると思うけれど、観た人の感想は一方の事実であるから、ある程度、きちんと言葉を出せるようになってきているのだろうと思います。

だけれども、これも今回は坂戸の小父さんのところが上演校でなかったからだろうと思うのです。だって、ウチの部活も去年と比べて急成長を遂げたというわけではないから。たぶん、去年は坂戸の小父さんのところが上演校だったから、ウチが目立つことがなかっただけなのだと思います。でも、たぶん10年前に僕が客席で感じたようなことを感じてくれる人が少なからずいたと言うことは、正しい方角を向いて、坂戸の小父さんの背中を目標に走ってこられたのかなと少し嬉しくもありました。

まぁ、もちろん、まだまだ坂戸の小父さんの背中は全然、見えないけれど・・・(>_<。)


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