5期生と・・・★

3月の卒業公演の時に前任校の時の部員が観に来てくれました。僕が初めて脚本を書いた年に入部してきたのが彼ら。僕の演劇部の5期生にあたります。その時に約束をした食事会が今日でした。

一番、長く会っていなかった子で4年と少しでしたが、まぁ、高校からの4年間ですから見た目が激変することもなく、むしろ変わっていないくらいの感じでしたが楽しいひとときを過ごすことができました。

思い返すに4−5−6期生で上演した『Alice! ~パート1 ハートの国の殺人事件編~』は初期の僕の作品の中では良くできた作品でした。初めて本番の上演を安心してみられたのが、あの作品だったと思います。そういう意味では僕の顧問生活の中でターニング・ポイントになった頃に一緒にやっていた部員たちです。

当時の記録を見るとあの年は秋の発表会が9月で、その後、11月に2時間、12月に1時間、1月に2時間、2月に2時間の作品を上演する予定を立てていました。しかし、新型インフルエンザが猛威を振るった年で、11月の公演直前に部員のクラスが学級閉鎖となり上演が難しくなり、11月の演目を12月に延期しました。結果、12月・1月・2月と3ヶ月連続公演に落ちつきました。あれから随分と経ちますが、演劇部生活でこのスケジュールが最も過密だったと思います。

今日、改めて話をしてみて、皆、当時のことを良く覚えているなぁと思いました。芝居の科白を憶えていたり、僕に言われたことを憶えていたりと、もう6年近く前のことだけれど本当に皆、良く覚えている。

話をしてみて、その時々、率直に話をしてきて良かったなと思いました。たぶん、今も同じで良い時は褒めるし、ダメな時は徹底的にダメという。『こう言うことを言われた』と聞いても、そういうことは言うだろうなと今でも思える。結局、率直に向き合うこと以上のことは無いのではないかと思ってやってきましたが、彼らの中で当時のことが良い思い出になっている様子を聞くと、それも間違ってはいなかったのかなと思いました。

振り返ってみれば、5期生は皆揃って思い切りの良い役者が揃っていました。昨日も話題になりましたが『女子高生の仕業では無いクオリティー』のキャラクターを演じきる強さがありました。当時は後藤ひろひとさんの影響を最も強く受けていた時期だったから、相当濃厚なキャラクターが登場していたけれど、それを喜々として取り組み、次々と自分のものにしていった。あの貪欲さは歴代で一番の期でした。

また、アクセント、イントネーション、アーチュキレーションなどについて改めて考えたのもこの時期だったと思います。きっかけは声優志望の子が入ってきたので何かできることは無いかと考え始めたことでしたが、目を瞑って科白を聞くことが多くなったのはこの頃だと思います。

Oは常に抜群の安定感で、帽子屋やケンゾウなど個性的な役柄を演じ上げていた。今振り返ってみても非常に芸達者な演者だったし、とにかくよく練習をしていた。また、観察力に優れ、何かを見せると湯水のように吸収していくのが印象的だった。
MYとRYは親友だったり、親子だったり、相棒だったりと色々な組み合わせでペアを組んでいたけれど、どの組み合わせもそれぞれの役の個性で息を合わせていた。同じように見えた組み合わせが無かったのは見事だった。
Sは男子らしく時間はかかったが『元木』や『人力車夫』では他の5期生に負けない成長を見せていた。たぶん、もう一番苦しい時期は越えていたと思うし、僕がもう1年、前任校にいたら演劇部の最初の卒業男子になっていたのかもしれないと思う。
Kは『書生』での科白の響きがとても印象的だった。個性的な共演者を向こうに回して、一つ一つ受けていく芝居は、今の僕の芝居に登場する主役の男役へと続く系譜の始まりだと思う。それも今やプロの声優さんだ。本人は気づいているか分からないが、駅のコンコースをお店に向かう途中のお喋りでも彼女の声だけ反響音が違っていた。

19時から3時間の予定だったが、追い出されないのを良いことに結局、23時半まで話し続けていた。それぞれの日常があって、色々と忙しいのだろうけれど、元気でいてくれることが嬉しくもありました。またの機会があったら良いなと思います。

最後に、これを読む5期生がいるか分かりませんが、誕生日の話題になった時に5期生は全員、誕生日に『8』が入っていると言っていましたが、僕の誕生日にも『8』が入っていたり・・・(・ω・)

(この記事はいずれ2015年5月2日 @ 23:59に移動します)


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