役割と責任(2)

高校の頃のとりとめもない話、続き。

ウチの同期には6人の男がいました。主演タイプの2人の男、強烈なコメディーリリーフ、老け役の似合う男、悪い役のよく似合う敵役タイプの男、そして僕。そういうメンバー構成だったので、僕の立ち位置は何となく3番手として主演タイプの2人を支える位置でした。

主演タイプの2人のうち、結果として主演とならなかった男は1人で考え込むタイプでした。気づくと稽古中も脚本を開いて難しい顔をしている時間が次第に増えていた。自主稽古中もそんな感じなので、彼が何かを考えている間、僕ともう1人の主演タイプが繰り返し稽古をすることになる。その結果は火を見るよりも明らか。主演タイプの2人の実力は同期から見ても開いていく一方。考え込む男には確かに華があったが、やがてそれでは追いつかないほどの差が開いてしまった。

そんな中、1つ上の先輩の卒業公演『リチャード三世』の配役が決まり、一緒に稽古をしていた主演タイプは主人公の腹心である『バッキンガム』、考え込むタイプは主人公を倒す『リッチモンド伯ヘンリー』となった。僕らからしてみれば順当な配役でした。『バッキンガム』はかなり苦悩するタイプの役だし、どう考えても難しい役。それに対して、『リッチモンド伯』は物語に欠かすことのできない役でリチャードの黒に対して純白に近い白で登場する華がある役者が良い。先輩たちはよく見ているなぁ、と。

そして、卒業公演前の別働公演『十二夜』では僕が主演することになった。残りの同期の男は全員、こちらに出演。僕が『ヴァイオラ』、コメディーリリーフが『フェステ』、老け役の似合う男が『サー・トービー』、敵役タイプが『マルヴォーリオ』。面白くなる予感がヒシヒシとあった。

こうして訪れた主演公演の稽古。とりあえず、今までの主演の方々の見よう見まね。考えることはたくさんあるけれど、とにかく稽古場では笑顔。そう始めてみると気づくこともある。稽古場に集まれる時間はせいぜい1日3〜4時間。とにかく、一秒でも長く科白を交わせるように稽古場を進めるために代々受け継がれてきた知恵なのだろうと。そう考えると同期の演出の言うことを早く理解しようと、言葉や表情、伝えようとしているニュアンスなどをできるだけ見逃すまいとする。たぶん、1年の時に疑問に感じたことの答えはこれだったのだと思います。

もちろん、稽古場で笑顔で振る舞うためには家ではドーンと沈むこともあったが、そんな時間があるなら芝居について考えている方がよっぽど役に立つ。それでも自分なりの結論を持って笑顔で稽古場への繰り返し。違っていたら家でも授業中でも考える。おかげで学校の成績は良くなかったが・・・(◎_◎;)

そうしていても出番も多いので、次第に稽古中、許容範囲を越えてくる。限界に近づいてくると、演出の同期とフェステたちが後輩を巻き込みながら、スッと稽古とは関係ない話を始める。その間にお茶を飲み、目を閉じて、頭の中を整理する。2、3分すると稽古再開。主演になって分かる演出と共演者の気遣い。つまり、1年の時に不思議に思った雑談は主演をクールダウンさせるための時間だったと分かってくる。たぶん、彼らもそう気づいたのだと思う。

稽古終盤。本番を1週間後に控えたある日。先輩の部長が稽古場に血相を変えて現れた。『智、来い!』と怒鳴られてついていくと卒業公演の稽古場。しかも、珍しく緊張感に満ちている。何かやらかしたか(>_<。)と思ったが、程なく気づいた。

リッチモンド伯がいないのだ。

(さらに続く・・・かな?(・ω・))


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