役割と責任(3)

高校の頃のとりとめもない話、続きの続き。

その場に立ち会ったわけではないが、簡単にまとめると、彼はバッキンガムに起用されなかったことが不満だったらしい。さらには自分がリッチモンド伯で、別動公演で僕が主演だったのも気にいらなかったらしい。それは結構な衝突だったらしく、稽古半ばになって、主演と演出と部長の先輩と激しくやりやった結果、出ていったらしい。

何故、僕が呼ばれたのかというと、別動公演が終わったら合流して暗殺者役に入る予定だったのだが、この状態で彼にリッチモンド伯を任せるわけにはいかないと言うことで、代役に入れということだった。

『リチャード三世』を知っている人であれば、バッキンガムとリッチモンド伯では役割が全く異なるが、どちらも最も重要な役であることはご存じのはず。どっちが上手くいかなくても作品の成否に関わる。確かにバッキンガムの方が科白も出番も多いけれど、リッチモンド伯は終盤の華である。

だけど、残念ながら彼は先輩を支えることが延いては作品を支えることになることを理解できなかった。競っている相手にバッキンガムを盗られたあげく、自分より格下の奴に主演公演も盗られた。それに我慢ならずに去って行ってしまったのだ。

では、どうして先輩たちがそういう風に差配したのか。それは程なくして分かった。

クリスマス公演だった『十二夜』。頭から水をかぶるという嫌がらせのような演出の公演を6公演して、すっかり風邪を引いて寝込んだ年末を開けて、新年早々に稽古が始まる。最初、リッチモンド伯の長科白の克服に四苦八苦していたが、あるシーンでふと思った。このシーンをやらせるために彼にリッチモンド伯を当てたのだろうと。

それは第五幕第三場。リチャードとリッチモンド伯が寝ている夢枕に、リチャードが殺した人々が現れ、リチャードに呪いの言葉を、リッチモンド伯に祝福を与える場面。目を閉じて横たわってると次々と先輩方が科白をかけてくれる。ほとんどの先輩にとって高校生活最後の科白。きっと、彼にこれを聞かせて、自分で考え込むのではなく、芝居の中で役同士の関係の中で気持ちを変化させていくことを体験させたかったんだろうなと思った。

演劇を作り上げていくには役者一人一人に、スタッフ一人一人に役割があり、それぞれが役割に責任を果たさなければならない。もちろん、お互い切磋琢磨することは大切だけれど、強すぎるライバル心は嫉妬を生んでしまう。先輩たちは彼の成長のためにキャスティングしてくれたのだと思う。でも、彼はその意図に気づけず、嫉妬の炎に焼かれてしまった。そこからは何も生まれないのに。

こうして、迎えた2度目の卒業公演は前日のゲネプロでラストの科白で「神よ」といった瞬間、頭が真っ白に。軽くトラウマになる経験をすることに。でも、本番は何とか乗り越えて3年生を送り出しました。

その1年後、『ハムレット』が僕らの卒業公演。同期で話し合って、僕が『フォーティンブラス』まで下がり、2年の主演候補を『レアティーズ』、1年の主演候補を『ホレイシオ』に。僕はホレイシオの科白も憶え、付ききりで後輩の科白を一から十まで直した。ハムレットはレアティーズに付ききり。受け取ったものを次へというのが僕らの結論。

まぁ、高校の頃のとりとめもない、そんなお話(・ω・)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です