志ん生と金馬

今日は脚本を書きながら、パソコン内の音楽の整理をしていました。

iPodを持って以来(今はiPhoneですが)、パソコンで音楽を管理するようになったわけですが、普段はとりあえず取り込んでいるため、たまに整理しないとデータが膨れていく一方なので、たまに整理します。

データの中で大容量を占めるのがミュージカルで、国内外のミュージカルの音源が取り込んであります。同じミュージカルでも海外版・国内盤・キャスト違いなど数種類を取り込んであるものもあります。たとえば『オペラ座の怪人』は現在、ロンドン盤・市村盤・山口盤・今井盤の4種類が入っていたり、『レ・ミゼラブル』も鹿賀盤・山口盤・今井盤と映画のサウンドトラック盤が入っていたりしています。

よってiTunesのアートワークには当然、ミュージカルCDのジャケットが居並ぶ訳ですが、そこに白黒のアートワークで異彩を放っている2つの写真があります。それが五代目古今亭志ん生と三代目三遊亭金馬です。何年か前、名演集を少しずつ揃えたものがドサッと取り込んであるのですが、たまに聞きたくなるので、ずっと入れっぱなしにしてあります。

このお二人の落語は子供の頃から良く聞いていました。もちろん、録音ですが、何故、志ん生と金馬だったのか。

自宅から徒歩20分くらいのところに祖父の家があります。祖父は宮大工でありました。昭和5年生まれの祖父は戦後まもなく浅草で宮大工の修行に励んでいたそうです。そんな中の楽しみは落語を聞くことで、雨が降るとよく寄席や演芸場に通っていました。その祖父が好きだったのが志ん生と金馬。修行を終えて、今の家に引っ越してからも神輿の金具などを買いに行くついでに寄席や演芸場に行っていました。

さて、僕が生まれた頃にはお二人ともすでに亡くなっていましたが、祖父はレコードで志ん生の落語を聞きながら大工仕事をしていました。しかし、僕が遊びに行くと決まってレコードを金馬に換えました。祖父の仕事場の傍らで鉋屑や大鋸屑で遊んでいた僕は必然的に金馬の落語を聞いていたわけです。

祖父は僕が小学校に入学してまもなく亡くなったので後から聞いた話ですが、祖父は僕に落語を聞かせようとしていたそうです。実際、金具の買い付けにつれられて鈴本演芸場や浅草演芸ホールで落語を聞いた記憶がうっすらあります。志ん生から金馬のレコードに換えていたのも、「楷書で書いたような落語」と称された金馬の落語の方が子供にも分かりやすいだろうと考えてのことだったそうです。

落語家になろうとは一瞬も考えたことはありませんが、落語を聞く習慣は残っています。さすがに寄席に行って一日聞くようなことはありませんが、独演会などは聞きに行くことはありますし、CDやDVDで聞く習慣もあるので、祖父の思惑は成功したのではないかと思います。

ちなみに母も当然、祖父に連れられて演芸場に行っていました。母の幼い頃は志ん生も金馬も健在でしたが、志ん生は倒れた後だったので、もっぱら金馬を聞きに行っていたそうです。

金馬は東宝名人会の所属であったため、寄席ではなく東宝演芸場に出演していたのですが、幼い母は金馬の落語よりも1階の出し物に興味を持つことになり、やがて祖父は一人で5階へ、母は祖母と1階へということになりました。

そう、東宝演芸場は旧東京宝塚劇場の5階にある小劇場だったのです。

つまり、今、僕のiPhoneの中で金馬の落語と宝塚の実況盤が並んでいるのは祖父の落語好きから始まっているのでした。


志ん生と金馬” への2件のフィードバック

  1. なんだか、ほのぼのとするエピソードですね。私も子どものころ、落語を聞くのは好きでした。マクラ、ナカ、オチはお話づくりの基本ですね。ハラハラ、ドキドキしながら、どんなオチが来るのか、いつ来るのか、じっと耳を澄ませていた気がします。
    昔は同じオチが来るのが分かっているのに、なぜこんなに期待感が膨らんでいくのか不思議でしたが、話術の巧みさももちろんながら、噺家によってやっぱり工夫があったのでしょうね。

    1. コメントありがとうございます。
      確かにオチが分かっている古典でも期待感を持って聞けるのは噺家さんの腕なのだと思います。かと思うと、「火焔太鼓」みたいにオチが幾つかあったりすると、『どっちがくる』とか別の楽しみがあったりもします。
      噺家さんによって全く印象の変わる演目もありますし、奥深い世界だなと聞くたびに思います。

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