ショーとワイルド(4)終

演劇には様々な種類があります。そして、それらにはそれらに応じた表現手法があり、作品と表現手法は切っても切り離せるものではありません。いよいよ本題です。

オスカー・ワイルドの最後の戯曲『The Importance of Being Earnest』。『ウィンダミア卿夫人の扇』、『つまらない女』、『理想の夫』と並んで、ワイルドの四大傑作といわれる作品です。しかし、この作品をバーナード・ショーは『機械的な笑劇』と評価しませんでした。『The Importance of Being Earnest』、邦題『真面目が肝心』とはどのような物語だったのか、端的に述べると、

ロンドンで『たまたま』知り合った親友同士が実は生き別れた兄弟。兄弟が『アーネスト』を名乗り告白した女たちは『たまたま』共に『アーネスト』という名前に強いこだわりを持っており、兄弟はそろって窮地に立たされる。兄は幼い時にハンドバッグに詰められ、駅の手荷物預かり所に預けられた。ハンドバッグ詰めの兄はある紳士に預けられ、成長後に紳士の娘の後見人に指名される。その娘の家庭教師は『たまたま』兄をハンドバックに詰めた張本人だった。最後は兄がロンドンで名乗っていた偽名が『たまたま』自分の本当の名前だったことがわかる。

………と、概ねこんなところです。パズルのピースがハマっていくように辻褄が合い、都合が良すぎる。赤ん坊をハンドバッグに詰め、駅の手荷物預かり所に預けるなんてことがあるだろうか? 主人公は恋人の母親に出生の秘密を明らかにするように迫られるが、結果として何の努力もせずに明らかとなっていく。

きっと、偏狭な視野の持ち主はこう言うのでは?

『リアリティーが無い』『主人公の成長が無い』『展開がご都合主義だ』

確かにこれらの指摘はあたっているとは思います。では、この作品がそういう批判にさらされるべき作品なのでしょうか。否、それを楽しむべき作品なのです。どんな作品であれ、観る角度が違えば批判できる点などいくらでもあります。

しかし、文芸批評家で詩人のアーサー・シモンズは『赤ん坊をハンドバッグに詰め、駅の手荷物預かり所に預ける』という設定について、こう評価しています。

『真面目が肝心』の手提鞄はどうかといえば、これはもうこの種のものとして無類の工夫である。あの完璧なお芝居は夢中のノンセンス以外のなにのでもない。(中略)それは、ただただわれわれを楽しませようとする藝術作品をつくるさいにかれが利用するひとつの大きな自由なのである。(西村孝次訳『オスカー・ワイルド全集 第3巻』出帆社 1976年 P.332-P.333)

児童文学者でジャーナリストのアーサー・ランサムは、物語の訴求力の必要性について、こう指摘しています。

かれは、メロドラマから借りてきた急場と感情に訴える力など自分の成功には必要ない、と信じるようになった。『真面目が肝心』で、かれはそうしたものを果敢に捨てさり、まさに地口を基礎そのものとする劇を書きあげた。ほかの劇よりこの劇が格段にすぐれているということ以上に、かれが観客に見せていたあのトリックの、ろくでもない性質をうまく証明するものはありえないであろう。(西村孝次訳『オスカー・ワイルド全集 第3巻』出帆社 1976年 P.340)

つまり、この作品が価値ある、評価されるべき作品であるならば、きっとそれにあった演出の手法があるに違いない。自分の持っている手法で作品が輝かないなら、輝くような手法を探しだし、身につけるべきだろうと思うのです。自分の得意な手法を作品に押しつけて作品の魅力を失わせてはならないし、上手くいかなくてもその作品にあった手法を模索しなければならないと思います。

………と言うのは簡単ですが(^^;;

でも、こんなこともありました。今年のコピスの『Eliza!』を上演した時に『また、あれ(I Got Rhythm!)みたいなも感じですね』と随分言われました。一方で、Koyo劇のmomさんは『芝居は、基本新劇でした』と書いてくださっていた。いかにも商業演劇的だった『I Got Rhythm!』を知る人はきっと、あれを『新劇だった』とは思わない。

しかし、『Eliza!』の原作の『ピグマリオン』は『マイ・フェア・レディ』の印象があるため、華やかなイメージが先行するが、イギリスの現代劇なので、日本に入ってきた頃から新劇に分類されていたはずです。上手下手は別として『新劇のよう』と感じてもらえたことは、特段意識しているわけではないけれど、作品にあった手法を模索できているのかなと思います。

………と、色々と書き連ねてきましたが、何故、バーナード・ショーとオスカー・ワイルドを比較してきたかと言えば、来春、再びワイルドの作品に取り組もうと思っているからです。前回、『真面目が肝心』に取り組んだ時は脚本はカット中心で演出もしなかったので、やり残したことが多く、いつかもう一度と思っていました。

昨秋来、少し落ち着いた話が続いてきました。来春の作品について話をしていく中で、そろそろ楽しい話が良いという意見が多く、ならばこの辺りで一度、大胆にコメディーへと舵を切りたいと思い、この作品が浮上しました。

今春、バーナード・ショーを上演していたことを考えれば、対照的なオスカー・ワイルド。このところの方向性からいえば『教訓的なもの』というバーナード・ショー的な傾向が続いていましたが、オスカー・ワイルドのいう『第2段階の芸術』である『真面目が肝心』に、しばらくお休みしていた王道的なラブ・コメディー全開で取り組みたいと思っています。

NIIZA YANASE × Oscar Wilde = “Ernest!”.

現在、勉強中・・・


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